「よる学校」の校長になってました
今までステルスだったのですが、校長してました。
その名も「よる学校」。
保育園や学童等、地域の施設を夜間に無料でお借りして、誰でも教える人になれる取り組み。
例えば、
自衛隊の人が、ガチなかくれんぼ(穴掘って潜伏するレベル)を教えてくれたり。
ユルリンピックと称してスーパーファミコン大会したり。
地域の兄ちゃんがDJ教えてくれたり。
みんなが面白そうって巻き込まれて行って、他者と出会っていく仕組み。
それが「よる学校」です。
ここまで話して勘の良い読者は気づかれたかもしれません。
これは「学校というメタファーを使った、地域福祉だ」と。
そう、最近の僕のマイブーム「福祉の顔をしていない福祉」シリーズです。
僕は校長と言っても賑やかしなだけで、本当は日本一破天荒な社会福祉協議会職員の松崎さんや地域の活動者たちが、「よる学校」の生みの親。
松崎さんは不登校の子どもたちの居場所を作ったのだけど、誰も来なかった失敗体験がありました。なんで来ないんだろう、と考えた。その時期に、祭りに行ってみたら、めっちゃ人が来てた。それは、目的が一つじゃないから。りんご飴食べたい子もいれば、盆踊り踊りたい人もいて、盆踊りを踊る子どもの写真を撮りに来る人もいる。
みたいな、いろんなタグがある。
そうか、いろんなタグに合っていたら、人は来やすいんだな、と。
でも、祭りは祭りに来た人同士が混ざり合わない。その場に一緒にいるけど、交流が生まれるわけではない。いろんなタグがあって、さらに交流と繋がりが生まれる場にすれば良いのでは!
そんな考えから「よる学校」が生まれました。
本当の学校じゃないけど、学校のメタファーにすることで、みんなで世界観が共有できる。「引きこもりの子どもたちのための」「孤独孤立に苦しんでいる人の」みたいな福祉的なラベリングはしない。
引きこもりの子でも、 #ゲームが好き っていうタグ を持っているかもしれない。そしたら、引きこもりというタグではなく、 #ゲームが好き っていうタグで繋がれば良い。
社会的な課題でフィルタリングするのではなく、その人の多面的なタグのどこかで繋がっていく場。それが「よる学校」なのです。
今回、開校式に行ってきたわけですが、
地域の学童保育と園庭を借りて、子どもたちがダンスや太鼓を披露したり、課題当事者の方が漫才やったり、「給食の時間」ということでバーベキューやったり、最後は謎にみんなで踊ったり、とだいぶカオスでした。誰が課題当事者かよく分からないけど、なんとなく楽しさとタグで繋がっていく感じ。説明するのは難しいですが、そんなグルーブの空間でした。
この「よる学校」、宮崎県三股町から始まったのですが、近隣市にちょっとずつ模倣してくれる方々が出始めています。興味を持たられた方は、ぜひ「よる学校」事務局までお問い合わせあれ。