死んだ姉と、いつの間にか繋がっていた
母の82歳の誕生日にプレゼントを届けに。
82歳にも関わらず、太極拳を習い、水泳教室では日に800メートル泳ぎ、絵手紙教室では生徒を教えている。
やはり健康寿命の鍵は、中年期からコンスタントに運動を続けていたか、なんだと思う。
そんな元気な母との雑談の中、今まで知らなかった話が、買い物袋から缶詰がこぼれるような感じで転がってきた。
僕には13と10年の離れた姉がいる。だが、その間にもう1人姉がいた。産まれてすぐ亡くなった、と聞いていたので、死産だと思っていた。
だが違った。
「900グラムで産まれてきてね。1週間くらい生きられたのだけど」
900グラムといえば、超低出生体重児だ。
「こんな風に亡くなる子どもたちを減らしたいから、検体して頂けませんか?」
そう病院に言われたらしい。泣きながら医療の発展のためなら、遺体を検体として寄付した。謝礼が2000円で、もらいたくもなかったし、その金額にも泣けたそうだ。
そこから50年近く経って、周産期医療は非常に発達した。超低出生体重児でも、医療的デバイスとともに生きながらえることができるようになった。医療的ケア児だ。
そう、僕が10年近く支援している医療的ケア児の問題と、図らずも姉がリンクすることになった。
彼女の死と体が、周産期医療の発展にほんの少しでも貢献し、そして多くの子どもたちの命を救うことに部分的に繋がったとしたら、彼女の命は確かに今に繋がっているのだと言える。
そして助かった命である医療的ケア児たちの、居場所や制度を作り続けてきた僕の人生と姉の短い人生は、思いもかけず、そこで交差したのだった。
会うこともなかった姉と自分の間の見えない絆に、胸がじんわりとした。
僕の命も、会うこともない誰かと、何かの絆で結ばれるのだろうか。
そう思うと、人は意外にも実は孤独ではなくて、知らない間に誰かと手を繋げているのかも知れないな、そうだったら良いなと思わないではいられない。