人にモノを頼めなかった僕が変われた理由
人にモノを頼むのが嫌いだった。
「忙しいのに、迷惑だろうな」
「負担かけて申し訳ないな」
「ウザかったら嫌だな」
そんなことを考えてしまって、うまく人にモノを頼めない人生だった。
しかし、今、猛烈に人にモノを頼んでいる。
ふるさと納税を集めるためである。
【ふるさと納税と虐待死】
ふるさと納税というと、あの自治体に寄付して、米やら肉やらもらえる、あれだ。
それがどう僕たちのNPOに関係するかというと、今年から渋谷区にふるさと納税すると、フローレンスの活動に寄付できる、という仕組みが始まったのだ。
NPOへの寄付というとまだ敷居が高いが、ふるさと納税というと気軽に楽しくできる。返礼品もあるし。
そんなわけで、ふるさと納税を通して、寄付を集めている。
寄付を集めて何をしたいのか。
子どもの虐待死を防ぎたいのだ。
ひどく胸が痛むが、日本では1週間に1人、子どもが虐待で死んでいる。
多分コロナ禍のせいで、虐待数は昨年度、史上最多を更新してしまった。
これは本当にヤバい。何とか止めたい。
結愛ちゃんや心愛ちゃんの事件が数年前話題になった。
ああいうことが、今もなお起こり続けていて、増えていきそうな状況なのだ。
何とか歯止めをかけたい。そのためには、虐待に陥る前に、支援の手を差し伸べることだ。孤立と孤独、貧困や親の障害等が虐待を生む。親だけのせいではない。追い込まれた時に誰の助けの手もなければ、人はその絶望と怒りを子どもに向けてしまう。
その前に出張っていって、支援を届けるのだ。
相談でもいい、食品を届けるのでもいい、ちょっと休めるように子どもを預かるのでもいい。
弊会フローレンスはいろんな方法で、虐待予防の支援を全国の親子に届けているが、それを加速していきたい。いや、加速しないとダメだと思っている。
でも、お金が足りない。全然足りない。
ニーズはたくさんあって、SOSはたくさんもらうけど、何しろ困っている親子はたくさんいすぎて、全然足りないのだ。
だから、ふるさと納税を集めて、虐待予防に全振りしようとしている。
【集まらない寄付・頼むことで得られたこと】
でも残念なことに、もうあと3週間でタイムリミットだというのに、全然集まってない。
12月10日現在、目標の2割という惨憺たる状況。
なので、僕が友人1人1人にお願いのメッセージを送ることになった。
でも憂鬱だった。さっきも言ったように、人にモノを頼むのが苦手なのだ。
末っ子だからか、気にしいなのかもしれない。
いや、単に臆病なのかもしれない。
若かりし時に女子に「付き合ってください」と頼めたことすらない。
俺なんかじゃ迷惑だろうし、嫌われたくないし。
でも頼んでみた。
「ふるさと納税で支援してもらえない?」
自分のためじゃない。虐待されている子ども達を助けるためだ。
そう思うと、ちょっと勇気が出た。
徐々に返事が返ってきた。
「おー、久しぶりー!もちろん良いよ!枠余ってるし!」
「返礼品もあるんだ!まい泉大好きなんだよね。やっとくー!」
「児童虐待、何とかしたいと思ってたんだ。ありがとう!」
意外に、みんな驚くほど協力的だった。
そのうち気づいたのは、仕事とかでご一緒できず、疎遠になっていた知人に連絡したことをきっかけに、また飲もうよ、会おうよ、と繋がりが復活したりする効果もあることだった。
気づいた。そっか、人にものを頼むって、関係性を創ることに繋がるんだな。
もちろんレスがない人もいるし、ふるさと納税の枠を使い切っちゃってごめん、っていう人もいる。中にはうざいなーと思っている人もいるかもしれない。
でもそれはそれで、多分いい。
お願いしなければ何もつながりは創れないけれど、少なくともお願いの連絡を入れておけば、存在は思い出してもらえるし、それがまた何かのつながりにつながるかもだから。
それに何より、「お願いできないでいる、傷つくのを怖がってる自分」より、「お願いできる前向きな自分」の方が多分好きになれるから。
【まとめとお願い】
1)自分のためじゃなく「誰かのため」があると頼める
2)頼むことで繋がりが創れる、と思うと頼める
が頼めない僕が得た、貴重な学びだった。
そして、これを読んでくれた皆さんにもお願いします。