17年勤めてくれた保育スタッフの勇退に添えて
昨日、17年勤めてくれた最古参の病児保育スタッフ(こどもレスキュー隊員)、誠子さんの送別会があった。
誠子さんの病児保育を受けた子どもたちが、熱が出てないのに「また、おばちゃん保育園に行きたい」と言っていたのが印象的だった。
「親子の辛い」が「楽しかった」に。
というのはフローレンスの病児保育のキャッチフレーズだが、まさにそういう保育をする方だった。
それだけではない。
今でこそ安心と信頼のフローレンスだが、立ち上げ当初の弊会は、ぼろぼろも良いところだった。
僕が早朝に起きて、病児保育の予約の電話を受ける、というくらいのスタートアップ感満載のオペレーションだった。
そんな感じだったので、失敗もたくさんあって、落ち込むこともいっぱいだった。一度なんてキャッシュが尽きかけて潰れそうになったこともある。
そんな風に大変な時には、いつも決まって大量のおにぎりを握ってくれて、それをオフィスのみんなに配ってくれるのだ。
「落ち込んでないで、食べなさい」と。
まるでフローレンス全体の母親のような存在だった。
そんな誠子さんもパートナーの方を亡くされたことやご年齢のこともあり、フローレンスを卒業されることになった。
泣きながら、見送った。
想いを持って、共に働いてくれる仲間の、なんてありがたいことか。
フローレンスは社会のたくさんの親子を支えていると自負しているけど、フローレンスもまた、多くの想いを持った一人一人に支えられている。
ありがとう、という言葉しか出ない。
誠子さん、本当に本当にありがとうね。
いつまでも心の息子でいさせてください。
そしてまた、おにぎり食べに会いに行くね。