めっちゃ苦しんだ2021年を振り返る
去年もそうだったのだけど、今年を振り返ると、「苦しかったな」という感想が一番に喉元からせり上がってくる。
コロナ禍で経営の舵取りをしなくてはいけなかったことは、大きなプレッシャーだった。人の命を、特に医療的ケア児のような「感染したら命の危険がある」子どもたちをお預かりし、安全に日々を過ごす、ということと、スタッフたちの身体と気持ちを守るということの両立の重圧。
さらに、コロナ禍の中でリモートワークによる部署ごとのサイロ化。顔を合わすことで生まれていた偶発性が無くなった中で、情緒的つながりやアイデアを失っていく働き方。経営者として全体を見渡しづらくなった中で、早指し将棋のように、秒針の音が聴こえる中、重要意思決定をしなくてはいけない毎日。
脂汗が頬を伝うことを感じながら、打つ一手一手。時間がないから、「いいから俺を信じてこの道を行ってくれ」と説明不足にならざるを得ない状況の中、孤独だけは深まる。
コロナ禍で防戦を強いられる中、一方でコロナ後を見て、次の一手を打ち出すこと。目の前のトラブルを片付けながら、10年後を見て、今何をすべきなのかを考え抜く。ようやく生み出したビジョンの原石は、周囲の一番理解してもらいたかった仲間たちに十分伝えきれず、更に深まった孤独に吐きそうになる。
誰か代わりにやってくれないのかな。俺が答えを持っているわけじゃあないのに。誰よりも俺が答えを探しているのに、と誰にも伝わらない声で呟く。
そんな中、同じ経営者の仲間たちが一緒に旅に行ってくれて、そこで「苦労してるのはお前だけじゃねえんだよ、バカが」と罵ってくれたり、コミュニケーションの専門家の友人が僕の会議のビデオを見て「こんな言い方だから伝わってないんだよ」と指摘してくれたり、コーチの友人が深夜にオンラインセッションをやってくれて前向きにさせてくれたり。
友人たちに助けられたな、と。普段はあることすら忘れていた人間関係と、言葉にすると恥ずかしい絆のようなもの。そのお陰でかろうじて、正気でいられた。
以下に、自分のための振り返りとして、この1年やったことを主だったものだけ載せておこうと思う。
こう見ると、改めて本当に感謝しかない。フローレンス社内の仲間たち、力を貸してくれた社外の仲間たち、寄付者や支援者のみなさんに。
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【日本の歴史上初の医療的ケア児家庭のための法律に尽力】
新著「政策起業家」の中から、法案成立時の描写部分を引用したい。
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2021年6月11日、僕たちは国会議事堂の中の、参議院本会議場にいた。よくテレビで映る、あそこだ。
僕に「預けられる保育園が無い」と相談してくれてヘレン設立のきっかけを作ってくれた綾さんご夫婦とお子さんの優太くん。
共に働きかけをし続けてきた前田医師や森下を始めとしたフローレンスのメンバー。
小さい体から一生懸命学校に行きたいことを訴えてきた萌々華ちゃんとママ。
そしてネット署名を頑張ってこの法案成立に大きく貢献した錦織さん。
みんなが揃って、本会議場に座っていた。参議院の本会議には出られないので、荒井聰議員やまーくんママ野田聖子議員、木村弥生議員らは僕らと離れた傍聴席に座っていた。
議長が言った。「では賛成の議員はご起立ください」
一斉に、そこにいた全議員が立ち上がった。
その様は、傍聴席にいる僕の胸に、言葉にならない万感の思いを溢れさせた。仲間たちも泣いている。
荒井聰議員たちは、本会議場に向かって深々と頭を下げていた。遠くでよく見えなかったが、荒井議員は晴れ晴れとした顔をしているようだった。議員生活の最後に、この風景を見せてあげられて良かった。ふと、そんなことを思った。
こうしてヘレン立ち上げを決めてから医療的ケア児支援法成立までの我々の8年近くに渡る闘いが終わった。しかし、法律ができても、それは新しい闘いのスタートに過ぎない。国でつくった法律が、地方自治体でしっかりと実行され、支援が当事者のもとに届かねば、意味が無いからだ。そしていつの日か文化が変わり、医療的ケアがあろうがなかろうが、何の不自由もなく、笑って暮らせる社会になる日まで闘いは続く。
そんな社会ができた時に、きっと僕たちはもういないだろう。こうした様々な苦労も、陰で尽力した政治家や官僚や当事者や政策起業家も、誰一人として覚えられてはいないだろう。しかしそれが何だと言うのだろうか。僕たちは信じて、レンガを積む。レンガを積めたことそれ自体に、意味がある。たとえできあがった大聖堂を見れずとも、我々は誰しもレンガを積める、ということ自体が希望なのだから。
ーーーー
【男性産休創設と男性育休義務化の法律(改正育児介護休業法)成立に尽力】
僕と小室淑恵さん、天野妙さん、塚越学さんらが4年近く政策起業してきた「男性産休の創設」と「男性育休義務化」が、改正育児介護休業法として成立。
これまで女性しか取れなかった産休的な休暇を男性が取れるようになり、また企業は男性社員に育休についてプッシュ型で伝えることが義務化されるわけで、人々の価値観と行動を変える「革命」では。
これで、「子どもが生まれたら休んで、最初から子育てに夫が関わるのが当たり前」の時代がやってくる。歴史が変わった瞬間ではなかろうか、と思う。
本件は「男性育休アベンジャーズ」と勝手に名付けた政策起業家グループで政策起業(政策提言・アドボカシー)活動をしてきたのだけれど、1人でやってたら絶対途中で心折れてたので、本当に仲間たちに感謝だな・・・と改めて彼女たちに感謝の意を表したい。
【慶應SFCの入試問題に小規模保育のケースが取り上げられた】
自分も受けた、母校の入試問題に取り上げてもらう、という個人的に嬉しいイベント発生。
ーー
高校2年の頃に、クソみたいな高校生活をリセットしたくて奨学金取ってアメリカに留学したんですよね。
英語が絶望的に下手な自分にとってアメリカは毎日がサバイバル生活だったけど、その分生きる喜びに溢れてたんですよね。学校の授業もフル英語で辛いけど楽しかったし、生活そのものが学びだったから。
だけど帰国してから大学受験が待ってて。ほんと勉強がつまんないんですよね。こんな受験のための勉強なんて最低だぜ。家も貧乏だし、働くわ、と荒くれていました。
でも、ちょうどその頃付き合ってた色白のユリちゃんを、ユリちゃんのバイト先のピザーラの副店長だった法政大学生に取られちゃって。
ベリーショックだったから、
「よし、法政大学より偏差値の高い学校に行こう」
って考えたんです。そっから勉強し始めたんです。バカですね。
でも勉強は相変わらずつまんなくて、もうピザーラへの憎しみだけで勉強してたんですわ。
そんな時に地理の守脇先生っていうおっさんに・・・
ーーーーーー
その時には自分的にはとんでもない喪失体験だけど、後から振り返ると、そのプラモデルを作るには必要な部品だった、みたいなことが人生にはよくある。ユリちゃん、ありがとう。
【コロナ禍で頑張る医療従事者向けに無料シッターを展開】
社員の発案で生まれた、コロナ緊急支援プロジェクトの一貫。「本当に勇気づけられました」というような声を多数頂き、胸が温かくなった。
こういう「収益にはならないけど、世の中にとって必要」ということを即座にできるのも、寄付してくださる方々がいるお陰だなーと改めて。
【政府の備蓄米を困窮子育て家庭に配れるようにした】
災害とか飢饉の時のために政府はお米を毎年100万トンくらい備蓄しているのだけど、そうそう飢饉とか起きないので、毎年20万トンくらいは牛の餌として処理している。
で、それってめちゃくちゃもったいないよね、それを困窮している家庭に配ったらどう?ということで「こども宅食議連」の皆さんと一緒に農水省に訴えたところ、実現。
議連のみなさんにはめちゃ感謝。けれど議連のメンバーだった木村弥生先生を失ってしまったのは痛恨の極み。我々はまだ、良い政治家を受からせられるような力が無いんだな、と落ち込んだ。
【中野区で「保育ソーシャルワーク」を始める】
子どもって、生まれた時は保健師さんが全家庭回ってくれるのですが、そこから小学校入るまで、相談しに行かない限り、ソーシャルワーカーと出会えない。
でも虐待は乳幼児期にもっとも起きているわけで。この矛盾を解消しよう、ということで、僕らが考えたのが「保育ソーシャルワーク」。
ソーシャルワーカーさんを配備して、各保育園を回って、子どもたちの家庭の課題に気づき、支援していく、という仕組み。
最初は自分たちの運営する保育園でやっていたのだけれど、国策化してもらって、それを受けて中野区の保育園全園に対して保育ソーシャルワークを行うことになった。
そして12月、国の有識者会議の方針が出され、そこには『保育園が「かかりつけ相談機関」になる』の文字が。マジで時代が追いついてきた感がある。
ただ、この国のポンチ絵、現場でやってきた僕らからすると、やや「本当にできるの?」感があるので、来年以降、僕らのやってきたことをしっかりと国に伝えていって、良い相談支援の仕組みを実現していかなきゃ、と。
【「デジタルソーシャルワーク」を神戸で始める】
コロナ禍で困窮世帯が激増しているけれど、従来のソーシャルワーク資源はマンパワー不足で対応しきれない。そんな中、LINE等SNSを活用した「デジタルソーシャルワーク」を提唱して実装してみた。
従来の対面や電話と異なり、チームでソーシャルワークができること。またその町に住んでいるソーシャルワーカーでなくても参画できることによって、マンパワー不足の問題を打破できる。
神戸市で事例をつくりノウハウを溜め、全国に広げていこうぜ、と。日本の福祉のDX化をフローレンスが牽引していきたい。
ちなみにこれはMixi創業者の笠原さんが作ったみてね基金さんとセールスフォースさんからご支援頂いてできた代物。寄付は社会的イノベーションを生み出す投資なんだ、っていうのはこういうところからも言えると思う。
【課題を抱えた親子のためのシェルターを始める】
心ある人々の支えによって、DVや生活困窮によって住む家を追われる母子のためのシェルターを、小さく始めることができた。
見えてきたのが、ひとり親で精神疾患がある場合、特にリスクが高くなってしまうこと。こうした世帯に対し、継続的な支援を行えるような新規事業を、社内の若手チームが生み出そうと悪戦苦闘している。何とかちゃんとリリースして、制度を思いっきり変えたい。DVなんて死語にしてやる。
【漫画の原案者になる】
社会問題を知ってもらいたい、って言っても、活字読んでくれる層にはなかなか限りがある。
漫画ならもっと多くの人に届くのになぁ、と思ってたところ、第三文明社さんがお声がけくださり、「子連れ宇宙人パテラさん」としてリリースすることができた。
読んでくれた大学の教授が「とてもよく書かれているので大学の授業で使いたい」って言ってくれて。そういうの、大歓迎!
そしてWEBから無料で読めるので、お気軽にお読み頂けたら!!
【国から民間団体への直接補助のルート「政策セカンドトラック」が創設】
国がいくら政策を作っても、自治体が政策のボトルネックになってしまい、地域で困っている人が困っていても、政策が届かない、行政サービスが提供できない、という残念な状況に陥ってしまう。
そこで、フローレンスは、いっぱいいっぱいの自治体をバイパスして、国から民間団体に直接補助できる仕組みを創ろう、と国へ訴えてきた。
その働きかけの成果として、今回の補正予算で、民間団体への直接補助のルート(政策セカンドトラック)が実現したのだった。
これを広げていけたら、自治体の状況がどうあれ、困っている人のもとに支援を届けられる仕組みができることになる。来年は実績をつくって、他の領域にも広げていって、「政策には常にファーストトラックとセカンドトラックがある」という風にビルトインしていけたら、と思う。
★☆
これらが、お仕事で出してきた主な結果。
とは言っても自分が出したのではなく、チームでやったからこそ出せた結果。謙遜ではなく、本当に。仲間たちよ、ありがとう。
ちょっと、プライベートの振り返り。
ずっと会おう会おうと思っていた、恩師が亡くなった。
コロナが落ち着いたら連絡取ろう。コロナが終わったら会おう。
そんな風に思っていて、会わずにいたら、お礼も言えずにお別れになってしまった。
あんなに期待をかけてくれていたのに。
コロナ禍が教えてくれた教訓は、「会いたい人に、いつでも会えるとは限らない」ということ。会いたい時に会っておかないと。「ありがとう」の言葉は、いつでも渡せるわけではない。
だからこれからは、斜に構えてないで、会いたい人には会おうと思う。感謝してたらありがとう、と言おう。照れてないで、好きだったり信頼していたら、そのまま伝えよう。どう思われるかなんて考える暇はない。もう2度と言えなくなる前に。伝えておけば良かった、と唇を噛む前に。
最後に、2021年を共に駆け抜けてくれた全ての人たちに、お礼をお伝えしたい。
不足と欠落ばかりの僕を埋めてくれたのは、あなたとのかけがえのない時間でした。
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