遺伝子欠損の息子を育てるIT起業家が感じた、医療的ケア児のこれからのこと
数十社のWEBコンサルを手がけ、「最速で成果を出すリスティング広告の教科書」「フリーランスがずっと安定して稼ぎ続ける47の方法 」などの数冊ものヒット書籍の著者でもあるIT起業家 山田竜也さん(ペンネーム:山田案稜)。
フローレンスのWEBコンサルにも関わっていただき、とてもお世話になっています。
実はその山田さんの、現在2歳になる息子さんは「4番長腕部分欠損」という染色体異常(遺伝子欠失状態)で生まれてきました。国内でも一説には30万人に1人とも言われる、極めて珍しい症例です。
はたから見ると「大変なんじゃないだろうか」と思う状況ですが、山田さんは
「この染色体異常だと普通は生まれてこない。生きて会えたことがラッキーだ」
と断言します。実際、ご夫婦の姿はとっても幸せそう。2歳になる息子さんも、ご両親の愛情を一身に受け、にこにこと笑顔が眩しい。
「もし同じ状態の子が5年前に生まれていたら、もっと苦しかったでしょうね。それぐらいこの数年で医療的ケア児を取り巻く状況は変化しているように思います」
「日々しんどいことはそれなりにあるけど、普通に日常生活が送れている。だけど……」
社会の先人たちが切り開いて作ってきたインフラが、医療的ケア児の親子を助けていること、しかしそこにはまだこれからの課題が数多くあること。
山田さんご夫妻のお話からは、医療的ケア児を取り巻く環境の変遷がくっきりと伝わってきます。
2015年、山田さんご夫婦に生まれた息子さん。現在2歳。
臍帯血逆流、陥没呼吸、上気道狭窄、肺気胸、奇形…トラブルの連続
ーーお子さんの障害がわかったときのことを教えていただけますか?
山田:年齢もあり、もともと妊娠したときから、出生前診断はせず、ダウン症など障害があっても受け入れようということは夫婦で話していたんです。産まれてから入院中に、障害があるらしいと病院の診察で伺っていたのですが、私も妻も、多発性奇形症候群の疑いの話や、検査で遺伝子欠失が確定する説明など、終始ニコニコ聞いているので、医師からは逆に私たちがおかしいのか、説明がちゃんと伝わっていないのか心配されていたようでした。
おそらく、泣き崩れたり、取り乱したりされる方が多いんでしょうね。
もっとも、気持ちの準備はできていても、出産時は大変でした。予定日間近で臍帯血逆流が発生し、なんとか産まれましたが、生後10分で酸素が必要ということがわかり保育器に入りました。
妻:息子は陥没呼吸状態で、上気道狭窄(気道が非常に狭く呼吸が難しい状態)であることもわかりました。さらに、普通の新生児より口が小さい、下あごも小さい。肺気胸まで発覚して。お医者さんからも「心臓も何かありそう。奇形もありそう。」と、毎日新しい症状の報告があって、聞きなれない言葉がめまぐるしく飛び交いました。
山田:染色体に異常がありそう、でもダウン症ではなさそうだと。出産したのは大きな総合病院で、息子はとても親切に看護を受けていました。ただ残念なことにNICUはなく、お医者さんが専用の設備が充実した転院先を紹介してくださいました。それで、出産後3週間でNICU、GCUが整っている別の病院に医師と一緒に、息子は保育器に入ったまま救急車で転院しました。
※NICU:Neonatal Intensive Care Unitの略。「新生児集中治療室」とも言う。早産で生まれた新生児、出生時より呼吸障害を認める満期産児、重症新生児仮死の状態で出生した新生児、あるいは出生時より処置を要する先天性疾患を合併した新生児などを対象に集中治療を行う特殊部門。
※GCU:Growing Care Unitの略。「継続保育室」「回復治療室」「発育支援室」などとも言う。 NICU(新生児集中治療室)で治療を受け、低出生体重から脱した赤ちゃん、状態が安定してきた赤ちゃんなどが、この部屋に移動して引き続きケアを受けることが多い。
転院で体験した「擬似退院経験」に救われる
ーー出産後3週間で転院とは大変ですね・・・
山田:結果的には、それがよかったんです。
転院先の病院では、看護師さんが経管栄養のチューブの使い方や酸素ケアの方法など、在宅医療の環境をひとつひとつ整えるトレーニングを根気よく何度も不安が取れるまでしてくれました。その後の育児のためにとても役立つ経験ができて、勧めてくれた産院にも、転院先にもとても感謝しています。
妻:一番ありがたかったのは擬似退院経験でした。
在宅医療がどんな感じかを病院内で再現、経験できるシミュレーションなんですが、例えば病院だと経管栄養のための器具や医療用ガスの差込口など医療的ケア用の器具が完備されています。家には当然ながら同じものがありません。そこで、代わりに何を使ったらいいのか、代替手段などを一つ一つ確認していきました。
看護師さんが息子に合ったケアの方法をアドバイスしてくれてとても助かりました。
山田:別の病院、あるいは同じ病院でも何年か前だったら、こういった機会はなかったかもしれません。右も左もよくわからないまま「退院して在宅看護しなさい」って言われたらとても戸惑っていたでしょうね。
実際に、お世話になった病院では、このような在宅看護に戸惑いがない状態で退院してもらう取り組みに本格的に力を入れ始めたところで、その後の経過や、振り返ってみての課題点などのヒアリングに来てくれたりと、関わっている医師も看護師さんも大変誠実に取り組まれていたと感じています。本当に運が良かったと思っています。
「何かあったら夜中に死ぬかもしれない」という恐怖
ーー退院後はどのような生活だったんですか?
山田:退院後は行政や訪問看護師さん、入院していた時の病院と連携しながら、在宅看護を進めていきました。
退院当日からさっそく訪問看護サービスにお世話になって、とても助かりましたね。
妻:訪問看護は、まず看護師さんに家がきてくれて、赤ちゃんの体調を見てもらい、医療的ケアを受けるだけでなく、育児の次のステップに進むきっかけを作ってくれたりもします。例えば離乳食に進んで大丈夫か、とか。
定期発達から外れているので、プロが見極めをしてくれるのが心強かったですね。
山田:訪問看護のおかげで、育児や看護についてのアドバイスをプロからもらえることは嬉しかったですね。また、お母さんはその間に横になったり、家事をすることができます。退院後は想像以上に寝れない日々が続きますから。
ーー夜間のケアがとても大変だというお話はよく聞きます。
妻:生まれてからずっと、息子の呼吸が安定しなくって。毎晩のようにモニターのアラート音が鳴って、夜中に起こされるんですね。
特に朝方悪くなりやすくて、「何かあったら夜中に死ぬかもしれない」という恐怖がずっと続くんです。1歳をすぎる頃まで夫婦ともども、ほとんど寝れない状況が続きました。
山田:呼吸停止は命に直結するし、日中は訪問看護も頼めるけれど、夜間が本当に怖かった。
これから成長していくってときに、1歳とか2歳で突然死んでしまうかもしれない。親はなかなか寝られない日々でしたが、とにかく息子が生きていればもう十分だと思っていました。
妻:そんな中、小児在宅医療を行っている、あおぞら診療所の前田浩利先生との出会いは大きかったです。
山田:通っていた小児科のお医者さんから紹介を受け、ソーシャルワーカーさんがすぐに連絡してくれたことで、あおぞら診療所と出会えたことは本当に幸運でした。
小児在宅医療との出会いが突然死リスクを回避
ーー前田先生はフローレンスの障害児保育の研修もしていただいています。まさに小児在宅医療のパイオニアと呼ぶべき方ですね。
妻:病院の小児科の先生ももともと考えていてくださったことなのですが、あおぞら診療所のお世話になって、息子は寝る時の呼吸補助のためにバイパップという人工呼吸器を使うようになりました。
親としても夜中に死んでしまうリスクは少しでも減らしたい。ならばやるべきことは早速やろう、と。命がかかっていますし、こういったことをプロの視点で勧めてくれるのもありがたかったですね。
山田:これによって、呼吸器官が少しずつ鍛えられていき、突然死リスクも減り、2歳をすぎた現在では元気なときには人工呼吸器がなしで寝られるまでになったんです。
前田先生の、「生まれた命はすべて助けるべきであり、医療的ケア児や障害者を含め多様な人が包摂される社会を目指す」という価値観にも、とても共感しています。
ーー素晴らしいことですね。訪問看護や在宅医療など、だんだんと社会資源が充実してきているのですね。
山田:はい、かなり助けられてはいますが、まだまだなところもあると思います。
たとえば、まさに訪問看護もそのひとつですが、病院から退院した後にどんな社会サービスや制度を使えるかといった情報については、退院間際で初めて病院に教えてもらえました。
妻:直前までそういった情報が出てこないのは、もしかしたら、病院側のやさしさかもしれませんね。親の心の準備や在宅看護をするための受け入れの用意ができていない状態で、情報の洪水に埋もれないようにするための配慮と私は感謝しています。
必要な情報が、必要な人に届かない
山田:もちろん人それぞれだと思いますが、僕はもっと早めに情報が欲しかったですね。
身近なところには、同じ症例の子どももいないし、想像もつかなかったんです。ケースが少なくてインターネットにもほとんど情報がない。自分で調べようとしても調べられないというのが実情で、ジレンマを感じていました。
妻:ソーシャルワーカーさんに退院後の準備のひとつとして、地域の訪問看護情報などを一覧で頂くことができました。
訪問看護以外の社会資源として、例えば、保育が受けられるのか、学校はどうするのか、その先は……といった、未来のことも知りたい、でもわからないというのは不安でしたね。ただ、ソーシャルワーカーさんは、時間をかけて大変親身に私の話を聞いてくれました。
ーー医療的ケアが必要な子どもを家で育てるという最低限のところまでしか、医療機関も準備がないのかもしれませんね。
山田:ようやくそこの仕組みが整い始めたばかりなので仕方がないのかもしれません。現在の仕組みの中で、医療機関、行政、関わっていただいた個々人の方は大変優しく、懸命に関わっていただき感謝しかありません。
率直に言って、病院、行政、訪問看護、訪問医療など、私たちに関わっていただいた方や組織、タイミングなど様々な運が重なりかなり恵まれていたと思っています。他の、医療的ケア児のお父さん、お母さんはもっと大変な経験をしている方も多いのではとも思っています。
もしシングルファザーだったら仕事を諦めていた
山田:もうひとつの今の社会の課題は、とにかく親の負担が大きいということ。もし、僕がシングルファザーだったら仕事を辞めていたと思います。
2歳になった今でも、週1回は病院や息子関連の外出が入り、4つの病院をかけもちしているという状況です。幸いにも僕は起業しているので、時間が作りやすく、どうにかやりくりできていますが、これがもし普通の会社勤めだったら生活が破綻していたかもしれません。
妻:息子はミルクや水分などを口から飲めないのでチューブをつけています。息子が退院してからしばらくずっと私は搾乳したミルクの注入で一日が終わっていきました。夫が仕事をしながら私の食事を3食用意してくれるという大変な協力があってこそ何とか乗り越えられました。今は息子は口から食事を摂り、水分も口から飲む練習をしているところです。チューブは1日分の水を口から飲めるようになったら外せるので、毎日頑張っています。
ーーそれくらい親がつきっきりにならなければならない状況なんですね。
妻:働くということについてもそうです。私は妊娠するまでは大学で秘書をしていました。高齢出産ということもあり、妊娠3ヶ月で一旦仕事に区切りをつけました。
また働きたいという気持ちはもちろんあります。でも、妊娠中や出産後の入院中は、障害児を預けられる保育サービスがあるというのを知る機会がなくて、障害児を育てながら働けるのかどうか、ということを考えるきっかけもありませんでした。
山田:仕事をしながらこういう医療的ケア児を育てることができるのかわからなくて「ひとまず辞めよう」と思ってしまうお母さんはまだまだ多いと思います。
僕も、今はフローレンスのWEBコンサルもさせてもらっていますが、「障害児訪問保育アニー」や「障害児保育園ヘレン」の情報を知ったのは退院後しばらくたってからです。
※山田さんご家族は「障害児保育園ヘレン」「障害児訪問保育アニー」のご利用家庭ではありません
「チューブが取れる」の先が見えない
ーー私たちフローレンスも、障害児保育という選択肢があるということをもっと伝えていかなければいけないですね。
山田:あとは、将来のこと。息子は今は2歳、これから大人になっていくんですよね。
この症例の場合、精神発達遅滞が95%発生するというデータもあります。
でも、ゆくゆくは社会にかかわってもらいたいし、できれば1人で食べていけるように成長してほしい。そのために社会で自立して生きていくステップがほしいな、と。
小さいうちは「まずは死なない」が目下の課題でしたが、「チューブが取れる」の次、この先どうしたらいいかがわからない。
妻:息子は立って歩くことができるので、チューブがはずれると、一見普通の子どもと同じに見えます。
そこがまた難しいところで、この状態だと障害児と認定はされず、もし、今後手助けが必要な発達の程度だった場合、福祉のサポートが得られない可能性があります。
山田:先ほどの親の就労の話ともつながりますが、一般の幼稚園や保育園では受け入れが難しいかもしれないという課題も深刻です。
息子は今、週に一度、区の福祉センターの幼児クラスに通っています。そこで同年代の子ども達ととても楽しそうに遊んでいます。
それまでは、ほぼ毎日家の中で過ごしていました。出かけたとしてもごくごく近所への散歩程度。だから触れ合う人は親以外には訪問看護の看護師さんや、医師など大人ばかり。息子は人との交流が好きな陽気な子です。これからももっと同世代の子どもとの交流や保育を経験させたいですね。
実は、この幼児クラスも新しい試みで、発達を見守る必要がある子のための仕組みを福祉センターが実験的に開始したばかりです。類似の仕組みが存在しない自治体のほうが多いと思います。
障害児とその家族を支える選択肢があることを、伝えていってほしい
ーー子どもの成長にとっても、保育を受け、同年代の子ども達と交流することは大切ですね。最後に、医療的ケアの必要な子どもとその家族を社会全体で支えていくために、これから必要なのはどんなことでしょうか。
山田:まず、東京都は世界的にも弱者にやさしい都市だと思っています。マイノリティがマジョリティになるぐらい、層が厚い。上記の在宅看護や在宅医療サービスも東京在住の場合ほぼ無料(交通費は実費)で使うことができます。保育や就学の受け入れの問題はまだありますが、それでも日本の中では障害児を育てて暮らしやすい。こういったインフラを、地方にも整備していかなければいけないのではないかと思います。
それから、僕たちの場合は、僕が起業していたから、出産した病院での適切な診断があったから、転院した病院でノウハウがあったから、出産が2015年だったから、プロのアドバイスを受ける機会に恵まれていたから……といった数々の幸運が重なり、数年前だったら心折れるような状況でも、なんとか乗り越え今があります。
妻:そうですね、息子が命を落とさず生まれて、今まで育ってこれたのも、訪問看護や在宅医療、都や区の福祉サービスなど、先人が切り開いてくれた道があったからこそだと思っています。
それなりに忙しくはあったり、課題はあるものの、夫婦で協力すれば、一つ一つクリアしていけることと、子どものために、自分の人生を犠牲にして……という状況でもなくなってきていることは確かです。
山田:でもたとえば、ひとり親だったら、会社員だったら、あるいは何らかの理由で社会資源にアクセスすることができなかったら、状況が変わっていたかもしれません。
訪問看護や在宅医療、あるいは障害児保育もそうですが、社会には障害児とその家族を助ける制度はあります。でもそれが十分に知られていないという部分もあると思うんです。
障害児を育てる家族にも、いろいろな選択肢があって、支えてもらうことができるんだ、というのを医療や福祉の側から、しっかり伝えていくこと、アクセスしやすくしていくことが大事なんじゃないでしょうか。
(インタビュー ここまで)
ここ数年、障害児や医療的ケア児をとりまく環境は劇的に変化し、「仕事や取り組みたいことを諦めずに、障害児を育てる道筋がある」ということが見えてきました。
山田さんは言います。「こういう体験をしてみて、息子のようなケースは医療や看護面においては行政、民間ともに手助けはあるが、逆に保育や教育面が取りこぼされている点に気づきました」
障害や医療的ケアのある子どもを受け入れる保育園や幼稚園が圧倒的に足りていない。それが日本の現状です。
一般的な幼稚園や保育園では受け入れの困難な障害児や医療的ケア児を、フローレンスの「障害児保育園ヘレン」や「障害児訪問保育アニー」では受け入れています。
障害があっても、医療的ケアが必要でも、一人一人の子どもにあわせた保育を行い、同年代の子どもとの交流保育などから子どもの発達が促されることを、私たちは間近に見てきました。
現在障害児保育園ヘレンは東京都内に5箇所、障害児訪問保育アニーは8区でサービスを展開しており、のべ83名の障害児が保育を受けることができています。
しかし、日本全国の0〜19歳の障害児の数は17,000名。そのうち東京都で保育を必要としている数は約200名いると言われています。
障害児訪問保育アニーは、障害児1人の預かりを開始するために、そのスタッフの育成におよそ90-95万円の費用が必要です。
障害児保育園ヘレンは、1園作るためにおよそ5000万円が必要です。
■「障害児を育てるために仕事を諦める」、この問題を、私たちは「障害児保育園ヘレン」や「障害児訪問保育アニー」を広げることで解決していきたいと思っています。
1人でも多くの子どもたちに、保育を届けるために、あなたのご支援をおまちしています。
■入園ご希望の方へ 障害児保育園ヘレン&障害児訪問保育アニーでは毎月利用希望者説明会を開催しています。
山田 竜也さん(ペンネーム:山田案稜)
株式会社パワービジョン代表取締役。多くの企業にてWEBコンサルティングなどを手がける。2007年から現職。著書に「フリーランスがずっと安定して稼ぎ続ける47の方法 」「すぐに使えてガンガン集客! WEBマーケティング111の技」「最速で成果を出すリスティング広告の教科書」など多数