駒崎 弘樹 公式ブログ ライフ・子育て

初めての育児と仕事の狭間で。「駒崎さんのお母さんの一言で救われました」【元利用会員インタビュー】

 フローレンスでは、フローレンスの訪問型病児保育サービスの利用会員さんを「クルー」と呼んでいます。

 共に「みんなで子どもたちを抱きしめ、子育てとともに何でも挑戦でき、いろんな家族の笑顔があふれる社会」の実現を目指す、仲間という想いを込めて。

 2004年からスタートしたフローレンスの病児保育の実績は今年50,000件を超えました。5万回お父さんお母さんが安心してお仕事に行けたこと、お子さんの辛い時に5万回寄り添えたこと、これは、こどもレスキュー隊員とクルーである利用会員さんが作った日本で初めての記録です。

 今回、フローレンスの病児保育事業スタート当時に利用会員でいらっしゃった横山さん(仮名)にお話を伺う機会をいただきました。

 当時、こどもレスキュー隊員(フローレンスの病児保育スタッフ)として現場に立っていた僕の母親、「駒ママ」(フローレンス社内での通称)との出会いから、横山さんを支えたこどもレスキュー隊員まで、フローレンス社員も知らないエピソードも満載のインタビューです。

 子育てと仕事の両立に奮闘してきた横山さんと共に、近年10数年の子育て社会日本についても振り返ります。

<聞き手:フローレンス広報>


今から10年前、子育てと仕事の両立にロールモデルが少なかった

ーーフローレンスの病児保育を利用していたのはいつ頃ですか?

2007年4月から2010年までです。長女が1歳〜4歳、次女が1歳〜2歳の間です。今、上の子は11歳、下の子は9歳です。

ーーフローレンスの病児保育サービスがスタートしたのが2005年なので、本当に初期の利用会員さんですね。その当時、社内には働きながら子育てしている女性はいましたか?

外資系のIT企業だったので、周りの女性はわりと仕事をバリバリやりたい人が多かったです。ちょうど女性が働きやすくするにはどうしたらいいか?みたいな社内ネットワーキンググループが立ち上がった頃でしたが、「子育てと仕事の両立」となると、部署によっては難しかったかも。

ーー横山さんはどんな部署に?

24歳で入社して第一子を28歳で出産したんですけど、入社して最初に配属されたのがアプリケーション開発や保守をする部署での仕事でした。銀行の為替ディーラー向けのシステムを担当していたので、すごく厳しい環境でした。世界中でそのシステムを使っている人がいて、絶対ミスや停止が許されないという。

その部署には結婚している女性もいなかったです。女性がそもそも少ない部署で、そこに復帰するのは難しいとイメージしてました。なので、産休とっている間に簿記の資格をとって、復帰して経理の部署にいきたいなと思っていました。

ーー確かに、その部署への復帰はハードルを感じますね。

その時は産休をとる女性も少ないため人事がかなり手厚く1人ひとり復帰後の配属先までケアしてくれ、産休中に勉強した内容が活かせる部署を紹介してくれました。開発の部隊とは違って、土日出勤なし、残業なしの部署に1時間時短して9時~17時の働き方で復帰しました。当時の勤務地は通勤に1時間30分かかる場所だったんで……17時がギリギリで。

フローレンスとの出会い、説明会で若い男性が病児保育について熱く語っていた

ーー第一子って初めてだからどうやって小さい子どもを育てながら仕事をしようか?という明確なイメージもないし、当時であれば周りにロールモデルも少ない。働く母においては開拓民みたいな時代だったと思うんですが、フローレンスを知ったのは育休から復帰前ですか?

復帰する前ですね、夫がそういう情報を調べるのがとても好きで見つけてきたんですよ。私たちは夫婦二人共、両親がまだ現役で仕事をしていたり転勤で地方にいたりして、親にヘルプ要請ができる状況になかったという状況もあって。

ーーパートナーさん、すごい!妻が働き続けるために全面協力してくれる夫、というのも当時はマイナーだったはず。夫婦ともに時代の開拓民だったんですね。

はい。夫は育休も2週間とってくれました。私が職場復帰するにあたりリスクになりそうなものをつぶしていこう、と夫婦でチェックしていきました。保育園については入れなかったら困ると思って認可外を含めいくつも仮押さえしましたが、はたと困ったのが「子どもが病気になった時は、どうしたらいいのだろう?」ということ

病児保育施設はもちろん調べましたが、ほとんど施設が無いのと、あったとしても1日数人しか枠がなく、熱が出たからといって当日すぐ使えるものではありませんでした。

ーーそれでフローレンスを探し当てて下さったんですね。現在は簡単にネットで利用会員登録ができますが、当時は訪問型病児保育はなにせ日本初のサービスだったので、代表の駒崎自らが説明会を開催していたんですが、ご記憶にありますか?

覚えています!会場では駒崎さんが熱心にお話しされていて。「子育てしてない若い男の人が、どうしてこんな事業を始めたんだろう……?」って不思議に思いました。

ーー駒崎が25歳の時ですね。「こんな若い男の人で、大丈夫なの?」なんて思いましたか?(笑)

いえいえ(笑)全然それはありません。若い人が立ち上げた事業だけど、自分たちにとって必要なサービスだと直感しました。サービスを使わない月も月会費という形でお金を払わなければならないけど、「安心をお金で買う」ということに納得がいったんです。保険みたいなもので。

当日必ず100%来てくれるというのがなにより良いサービスだと感じました。説明会の会場には、こどもレスキュー隊員さんもいらしたのですが、自分の母と同世代で説明会の間じゅう子どもを見てくれていました。その様子を見て安心しました。

病児保育事業立ち上げ当時(僕と僕の母)

駒ママの一言で気持ちがラクになった。「いつでも頼っていいんだよ」

ーーきっとその頃はベビーシッターの経験のある駒崎の母を含め2, 3人のこどもレスキュー隊員でサービスを回していた頃だと思います。

駒崎さんのお母さまに慣らし保育をしていただいて、実際の病児保育自体は、記録を振り返ると、渡辺誠子隊員にお世話になっていたようです。

ーーそうそう。現在は慣らし保育のシステムはありませんが、創業当時は慣らし保育をしてから利用スタートだったんですよね。駒ママの自宅で慣らし保育だったんですね。渡辺誠子隊員は、現在も現役でお仕事されているフローレンス内のレジェンドです……!病児保育レスキュー件数1000回を超えている方なんですよ。


渡辺誠子隊員。フローレンス立ち上げ期から病児保育の現場で活躍している。

すごい……!歴史を感じますね。慣らし保育は駒崎さんのご実家だと思いますが、私の自宅のある江東区でも近いエリアの団地だったんです。

駒崎さんのお母さんとの思い出で一番に思い出されるのが、「仕事じゃなくても、気軽にもっと預けていいのよ」って言われたこと。

ママが疲れた時とか困った時、いつでも来ていいんだよって。

もちろん公式にそういうサービスはしていなかったとは思いますが、「いつでも頼っていいんだよ」って声がけをしてくれてたことは、初めての子育てと職場復帰とに不安でいっぱいだった心に、響きました。

ーー2007年当時といえば「預けてまでお母さんがフルタイムで働くなんて、子どもがかわいそう」という人もまだいた時代ですよね?

そう。実際にそういう風に思われてるんだろうな、と感じる場面もある時代でした。

だけど、駒崎さんのお母さんのように、「あなたの自身のために、子どもを預けてもいいのよ」「子育ては色んな人の手を借りていいのよ」と言ってくれる人がいて、すごくラクになった。

夫はシフト勤務で急な休みをとりにくい仕事なので、子どもの病気やトラブルがあれば自分か夫かのどちらかがなんとかしなきゃいけない、と張りつめていた中で、頼り先が一つでも多くあることは心の支えになりました。綱渡り的ではあったけど、選べるのがありがたかった。

ーー子どもの病気って急ですし、そんな日に限って仕事が休めない、大事な予定と重なる。親なら誰でも経験ありますね。

復帰した年は、子どもが月に1~2回熱を出して、1回熱が出ると2〜3日保育園をお休みするという感じだったので、1日目を夫婦のどちらかが看病して、2日目、3日目をフローレンスさんにお願いするというふうに乗り切りました。


 
相談する相手がいない不安、心のよりどころになったこどもレスキュー隊員

ーーフローレンスの病児保育サービスの利用を始めてからの思い出は何かありますか?

何より、子どもが全然嫌がらず、なじんでいたことですね。渡辺隊員に病児保育をお願いして、私が仕事から帰ってきたら「ママ、もう来たの?」って感じで、保育園と同じように楽しそうに渡辺さんと遊んでいました。

それから、私は28歳で出産と周りの友達の中でも早い方だったから、子育てのことを誰にも相談できなかったし、自分の母はあまり頼りにならなかったんで(笑)、隊員さんたちは何でも相談に乗ってくれて、話を聞いてくれたから、お話できることがすごくありがったかったんです。

ーー渡辺隊員はフローレンスの立ち上げを担ったベテラン隊員さん。入社の動機は自身の子育て経験を活かして「子育て中の若い世代の手助けをしてあげたい」ということだったそうです。横山さんの子育てに伴走する姿が目に浮かぶようです!

新米ママとしてはちょっとしたことを相談できるだけで嬉しいですよね。当時はオプション的に預かり保育もやっていたんです。ママが帰れない日は夜ごはんを食べさせて寝かしつけして……ということもやってた時期で。病児保育にとどまらず働くママたちが孤独に頑張らなくていいようにって、隊員さんたちが今の基礎を作っていた時代です。

子育て中は「大丈夫よ」って言ってもらえるだけで、こんなにラクになるんだなと知りましたね。こどもレスキュー隊員さんが、サービスとしてではなくご自分のやりがいをもって私たち家族に寄り添っていただいていることが伝わりました。

ーー月に約7000円という月会費は安くはありませんが、それについてはどのように思われましたか?

高すぎるとは全然思わなかったです。うちは保育園が公立でそれほど高くなかったので、病児保育に安心料として数年間だけ心の安心を買うと思うと使いやすかった。

母になった途端、キャリアを我慢したり周りに気遣いをさせてしまうことへの違和感


ーー当時周りの子育て中のご友人の間で利用している人は少なかったのではないですか?

当時は、保育園のママ友で病児保育を利用している人はいませんでした。フローレンスを薦めても誰もピンときていませんでした。「なんで、子どもが病気のときお母さんがみないの?」と言われました。

ーーその時どう思われましたか?

考えはそれぞれ違うからそれについては気にならなかったけれど、私は子どもを産んで「働くお母さんて、自分のキャリアを全部我慢しなきゃいけないんだ……!」とショックを受けた記憶があるんです。私は、仕事も子どもも大切にしたいから、自分はどちらもあきらめない道を選ぶと決めてました。

職場復帰するにあたっても、私は子どもがいるからといって十分働けない前提で配慮されるのがイヤだったです。それまで頑張ってキャリアを積んできたはずなのに、急に半人前みたいに扱われることに違和感がありました。

復帰したあと、私のために異動先の部署が歓迎会を開いてくれたんですけど、「今日は子ども、どうしてんの?」と言われて。何気ない言葉だし、気遣ってくれてる言葉なのに、イヤだと感じました。子どもがいるお父さんには絶対聞かないのに、どうしてお母さんにはそれを聞くの?と思ったんです。

ーーお母さんになった途端に女性だけが、お母さんとしての側面を気にされる。キャリアか子どもか、ゼロか100かを決めろ、みたいなアンバランスな時代だったかもしれませんね。

 

それから10年あまりが経って。選択肢が増え、女性が肩の力を抜いて仕事と子育てを選べる時代に

2015年に「37.5℃の涙」というドラマがTVで放送されましたよね?フローレンスをモデルにした漫画がドラマ化された、あれを見て。「ここ使ってたんだよー!」とすごく懐かしくなった。

その頃には、病児保育も市民権を得て、働くお母さんがあたりまえになっていた。子どもとの時間を大事にしながらどんな働き方をするか、どんなキャリアを設計するか、ここ10年くらいでいろんな選択肢が増えていったと思います。

ーーあの作品を描かれた漫画家の椎名チカさんも、フローレンスの病児保育利用会員さんだったんです。ご自分の体験をもとに漫画を書かれて、現在も大人気連載中です。

第一子のご出産から10年以上経って、世の中変化したなと思うことはありますか?

新入社員として入社したての頃、10歳くらい年上の男性の先輩が「子どもをお風呂に入れなきゃいけないから早く帰らなきゃ」って言ってて、正直その時は意味がわからなかった。自分もそれくらいの認識だったんです。

でも、子どもを産んで新しい景色が見えました。当事者になることで人は変化するのかなって思います。

最近は保育園の送り迎えもお父さん率が高くなったし、小児科にいくとお父さんが抱っこひもで診察にきてますよね。10年前はいなかったけど、今はいる。

つまり、当事者意識が社会の中で広がってきているのではないでしょうか。

ーーそうですね、自分ごととして考える人が増えることで社会は変わるんですね。

最後に、現在フローレンスを利用している会員さんや、こどもレスキュー隊員に向けてメッセージがありましたら、お伺いできますか。

フローレンスさんが支えてくれたおかげで、今までフルタイムで一度も途切れずに頑張ってこられたなってすごく感謝してます。約2年前、38歳の時に転職したのですが、希望の職につくことができました。きっとフルタイム正社員でキャリアを断絶せずにいられたからだと思っています。

サービスエリアもどんどん拡大して助かるママが増えているのはとても嬉しいです。

今、小さなお子さんを子育て中のお母さん方には、頑張りすぎないで!と伝えたいです。

私自身は、肩に力が入りすぎだったかもなって後悔している思い出もあるんです。仕事なんていくらでも代わりがいるけど、お母さんは世界で1人だけ。子どもが小さい時期は色んな人に頼っていいし、子育ても大切な自分の一部だって認めてあげてほしい。周りももっと寛容であるといいなと感じます。

子どものことを一番に大事にしてあげられる世の中になるといいですね。

ーーありがとうございました。フローレンスも2004年に設立以来、その時代のお父さんお母さんたちと共に無我夢中で駆け抜けてきたと思います。

子どもが病気になっても、色々な選択肢がある社会。たくさんの人に見守られて子どもが育つ社会。そういう社会を、これからもクルーの皆さんと作っていきたいです。

 


 フローレンス設立のきっかけとなった日本初の「訪問型病児保育サービス」は、単なる新しいサービスではありませんでした。

 「みんなで子どもたちを抱きしめ、子育てとともに何でも挑戦でき、いろんな家族の笑顔があふれる社会」を実現するための、はじめの一歩だったのです。インタビューでご紹介したように10数年前は一般的ではなかった「病児保育」を、50,000件の実績を持って子育て社会のインフラ化へと牽引してきたのが、フローレンスの「こどもレスキュー隊員」です。

 フローレンスのこどもレスキュー隊員は、子育て経験を正式なキャリアとし、週4日から正社員で雇用した日本初の職種でもあります。

 インタビューでも登場した渡辺誠子隊員は、子育て経験をキャリアに入社され、現在病児保育のプロとして大ベテランとして活躍しています。保育経験がなくても研修や先輩からの指導で専門知識を身につけ、経験を積んでいくことができます。

 子育て経験(7年以上)を活かして、小さなお子さんを育てるお父さんお母さんの力になりたい!という方をフローレンスでは募集しています。ぜひ、私たちとたくさんの家族の子育てに伴走しませんか。

 設立当初を支えたレジェンド隊員達も多く現役で働いています!

「こどもレスキュー隊員」お仕事説明会情報はこちら!

HOMEブログトップへ