医者しか血圧を測れない時代があった?医療的ケア児を通じて、医療が地域に混じり合う時代とは
日本の小児在宅医療を牽引してきた前田浩利医師と、障害児保育事業を運営するフローレンス代表理事駒崎。
医療的ケア児とその家族に寄り添うという共通のミッションを持つ2人の対談、後編はこれからの地域医療のあり方と、欧米と日本の倫理観の違いについて。
対談から、これからの障害児保育が担うべき使命が見えてくるかもしれません。
※前編はこちら
在宅医療が必要なのは高齢者だけじゃない。日本で初めて#医療的ケア児 の自宅に医療を届けた医師
医療的ケア児のために、医療・福祉・教育が手をつないだ
駒崎:フローレンスが運営しているヘレンとアニーは、保育を通して障害児の母親の就労を支援することも目的としているのですが、障害児の母親が子どもを保育園に預けて働きに出ることはまだまだ一般的ではありません。
こうした障害児から派生する総合的な支援については医療業界ではどう捉えているのでしょう?
前田:15、6年前はピンとこない人が多かったけど、フローレンスの事例などを周りで紹介すると今は拍手ですよ!ここ十数年で全く意識は変わってきています。小児科学会で発表しても、看護師などのレスポンスも大変ポジティブです。
このように医療と福祉の価値観が揃ってきているのだから、地域包括ケアシステム※の子ども版みたいなものができる可能性があるんじゃないかな。
※地域包括ケアシステム:高齢者が“住み慣れた地域”で介護や医療、生活支援サポート及びサービスを受けられるよう、市区町村が中心となり行政・民間企業・NPO団体などと連携して「住まい」「医療」「介護」「生活支援・介護予防」を包括的ケアを整備すること。
こうしたことは、医療的ケア児がいたからできるようになったのではないかと思うんです。医療的ケア児がいなければ、医療と保育、教育、福祉が連携するきっかけはなかったわけですから。
駒崎:医療的ケア児のおかげで各業界に結節点が生まれた、というのはおもしろいですね。
ではこれからその医療的ケア児の支援はどうなっていくべきのでしょう?
前田:現在医療的ケア児の支援は、縦割りです。福祉は厚労省、教育は文科省、って。制度も十分ではありません。
でも、現場で医療と福祉がつながってきて子どもに良い影響が出ているように、人が繋がればいい支援が生まれるんですよ。制度を整備することが先決なのではなくて、お互いの連携によって成せることがある、というのが本質です。
制度はあくまで背景としてあればいいものです。
駒崎:なるほど……ものすごく含蓄がありますね。
制度があったほうが手を繋ぎやすいけど、本質は手を繋ぎあってチームを作ることだ、という……
前田:病院にいれば子どもは次々やってきますが、結局のところ子どもたちの日々の生活を支援しようとすると、行政や福祉団体など本当に色んな人と手を繋がなければ形になりません。これまでのお医者さん像では、一過性の治療になってしまいます。
「血圧は医者しか測れなかった」時代から、医療が地域に溶け込んでいく未来へ
駒崎:それを実現するためには、これからは病院が増えるというよりは、地域での在宅医療と機能分担していくというような方向性になるんでしょうか?
前田:はい。例えば人工呼吸器だって昔は30kgあったけど今は4~5kg。
医療機器はほとんど故障しないし高性能です。自宅でできる検査キットや、採血無しで呼気で様々な体の中の物質を測定できる機器などが実現しそうなところにきています。そういう技術が進めば、病院施設を作るよりコストが安くすむから、医療は脱・中心化しますよね。
超特殊医療のみが病院に集約され、大部分の医療のコストが下がって地域に包括されていくと、医療と地域の関係は根本的に変わると思います。
医者が率先してどんどん地域に出ていって、いろんな人を繋ぐ役目をすれば、国民にとって良い医療になると思いますよ。
駒崎:お医者さんがソーシャルワーカー的な役割を……これまでの医者道が変わりますね!
子どもも高齢者も、医療的なデバイスをつけながら生活する人の割合が高まってきて、医療が生活の中にインクルード(包含)されるという未来が近いわけですが、「医療的ケアは看護師しかできない」という現状だと立ち行かないですよね。
前田:これからは、研修を受けて、保育士や児童指導員など医療的ケアが誰でもできるような仕組みにしないとね。
そのためのステップとしては、現在は医療的ケアについては集中治療室用のマニュアルしか無いけど、そこを地域医療向けのマニュアルに変えていくところからでしょうね。
駒崎:医療業界にとっては今までプロの領域だとしてきたことを手放すことになりますよね。自分達の専門性を証明したいという、ある種の反発がある場合は、どうしたらいいでしょう?
前田:専門性やプロフェッショナリティを次のステップに進めるということでしょう。
聖路加国際病院の名誉院長だった日野原重明先生がこんな話をおっしゃってましたよ。「血圧を測るのは医療行為とされて医者の専売特許だったけど、僕は皆が家で毎日測るといいよって言った。そしたらすごい反発だったよ」って。
でも日野原先生は厚生省に家庭での血圧測定を認めさせて、今ではどこでも誰でも計れるようになりました。
もし、医者しか血圧を測れなかったら……今ならゾッとしますよね。
医者の仕事は血圧を測ることではなくて、その解釈ができる専門性なんです。専門職の仕事は無くなることはありません。
駒崎:アメリカやイギリスにナースプラクティショナー(医師でなくても一定レベルの診断や治療が可能である職)があるように、医療技術の発展とともに、職域に線をひきなおすことが必要ですね。
こういうことは、もちろん福祉サイドからは絶対言えないから、前田先生が「医療的ケアは誰でもできるんだ」と一般化していく役割を負っていらっしゃるということかもしれません。
前田:そうですね。その時には医療的ケアといわれる行為はどの行為を指すのか、血圧の時と同じで、研修内容も含めてきっちりと医者サイドが決めていくべきでしょうね。医療の民主化と責任を対にして整備していきたいです。
駒崎:そうなれば、十数年後は「かつて医療的ケア児が困っていた時代があったの?」という感じになりそうですね。
技術があるなら命を助けたい。障害児・医療的ケア児が幸せに生きる意味
駒崎:最後に、少し根源的な質問をさせてください。
海外では障害児の命を積極的に救わないという考え方もありますが、日本はこれからどんな方向性になると思いますか。
前田:イギリスなどは、未熟児や難病児の命を救うという選択をすると、親が「それは虐待だ」とまで言われます。例えばSMAという難病の子どもは日本であればほぼ100%気管切開などの医療的ケアをして生きますが、イギリスでは全員5歳以前で死ぬのが常識です。
最近イギリスを二分する大騒ぎになった事件もありました。ミトコンドリア病の子どもがいて、医療チームは呼吸器を止めると言った。助けたいと要望する親と、子どもの人権侵害だと主張する病院とが対立したんです。
駒崎:助けることが子どもの人権侵害……!日本だったら、呼吸器を止める方をそう糾弾するでしょうね。
前田:日本は国民皆保険の国です。「子どもを助けない」選択肢はなく、救える命は全力で助けることになっています。
僕個人の価値観も、技術があるなら助けようぜって思います。本人でもないのに「生きる価値の有無」を他人が決めるなよ、と。産まれたばかりの赤ちゃんが目の前で生きようとしてるのになぜ殺せますか。
駒崎:アメリカは保険メインの考え方ですよね。どの保険に入っているかで出来る医療対応が違います。お金持ちの子どもなら、助かる。
前田:そう。例えば以前、海外の超VIPのお子さんに障害があって「自国では治療不可能」と言われ日本で治療を受けたんですが、それは私たち日本人が通常の保険内で普通に受けられる医療水準でした。
日本では、超裕福な家の子どもと一般家庭の子どもが受ける医療に違いはありません。世界最高水準の技術が、子ども一人ひとりに与えられています。そして、日本の小児科医はどこの病院でも、自分の寝る間を削ってでも全力で子どもを助ける人ばかりなんです。
駒崎:国民皆保険が、日本の障害児を救っているんですね。そして、小児科の先生方の熱い想い……
前田:私は、障害児を助けるのをやめようという世論には絶対にしたくない。医療現場において「助ける?助けない?」なんて、絶対に誰にも選択させたくないんです。
障害児には不幸せな人生が待っている、と決めつけるなんておかしな話で、どう生きるかは本人や家族が決めることです。
駒崎:生きている子どもは生きたいと思っているという前提で助ける、これが日本ですよね。
だから世界に先駆けて医療的ケア児が爆発的に増えている日本に世界が注目しています。命の選別にNO!と言ったあとの社会づくりを、世界から問われていますよね。
フローレンスの障害児保育の大きな使命も、そこにあるのだと思います。
前田:医療的ケア児が幸せに生きられることが証明できれば、障害者を含め多様な人が社会の中に包摂されたほうが良いと正当性を持って主張できます。
これは今までどの国もやっていないことで、我が国が世界で初めてこの問題にぶちあたり解決しようとしているんです。
全ての命を助けて良かった、と言えるように。国づくりが始まっていると思います。
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