駒崎 弘樹 公式ブログ
ライフ・子育て
「硫黄島からの手紙」を見て、硫黄島で逝った祖父を想う
*下記、ネタバレなコンテンツを含みますので、まだ見ていない
方はご覧にならないで下さい。
C・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」を見た。
まともに見ることに痛みが走るような、顔をおおって泣いてしまう
ような映画であった。それはこの作品自体が、というよりも、
僕の個人的な事情によるものが大きかったからかも知れない。
僕の祖父は、実際に硫黄島に出征し、そこで死んでいる。
うちには祖父の手紙とセピア色の写真がまだ残っていて、小さい時から
その手紙を目にする機会がよくあった。
手紙は8割方墨で塗られてしまっていて、内容はよく分からないのだけれど、
しきりに「章喜(僕の父親)は元気でせうか。」と問うているものだった。
基本的には事実に立脚した本作のモチーフも、兵士たちの手紙だ。
そして主人公の西郷(二宮和也)はまだ20代半ばで
徴集された若い兵士であり、僕の祖父、金蔵も今の僕よりも若い24、5でかの地
に行っており、西郷と同様に妻と子を残している。
彼が祖父と重なって見えてしまい、僕はそれが映画であることすら、忘れて
しまいそうになる。
状況は日本軍にとっては絶望的であった。大量の物資と兵力を持つ米軍相手に、
まともに戦っても勝ち目はない。地下にトンネルを掘り、ゲリラ的に抗戦する
ことで、一日でも長く米軍を足止めするしかない。
在米経験もある優秀な指揮官、栗林中将(渡辺謙)のもと、当初5日で落ちると言われた
硫黄島の戦いにおいて、日本軍は善戦する。
しかし兵力の彼我の差は、徐々に日本軍を追い詰める。捕虜となるのを良しと
しない文化の日本軍内では、手榴弾を胸に抱えて爆発させる自決が多発する。
様々な抵抗も空しく、栗林中将も最後の突撃を行い、討ち死にするのだった。
西郷や栗林中将を含め、人物達の過去の人生が、その手紙と共に活写される。
みんな普通の人達だ。妻がいて、こどもがいて、母親がいて。
今、まちを歩いていても、職場に行ってもいるようなやつらが、泣きながら
手榴弾のピンを抜いて、爆発寸前のそれを胸に抱くのだ。
見ていられない。祖父がどのように死んだのかは、誰も知らないが、
よもやこんな風に死んでいたらどうしようか。せめて普通に撃たれるとか、
病気とか、そういった死に方であってほしい。こんなんだったら、
あんまりだ。
あまりにも感情移入してしまったので、映画を見た数日後に、祖父の
墓参りに行ってきた。
墓を参りつつ、父母から色々と聞いた。
僕の祖父の高橋金蔵は埼玉県の豪奢な造り酒屋の三男だった。
祖父の死後、というか戦後、高橋家は没落。
金蔵の父は酒屋の経営難を理由に自殺。後を継いだ長男も、
酒樽で首を吊って亡くなったという。
現在酒屋のあった場所にはアパートが建っているそうだ。
金蔵が戦場でも気にかけた一人息子、章喜(あきよし)は、戦後
新しい父親を迎える。一人で戦後の混乱期を生き抜けなかった
のか、母が再婚したからだった。
駒崎卯之介というその男は、クリーニング屋で職人として働いていた。
背中一杯に刺青があった。もともとはヤクザだったのだろう。
そんな卯之介も何十年とクリーニング屋で真面目に働き続けた。
章喜には妹と弟ができた。学校から帰ると、妹の面倒をずっと
見ていて、おんぶしていた妹を床に置いた時の痛くなった肩の
感覚を、いまだに覚えているという。
兄弟の中、一人だけ連れ子であることから、章喜の母親は
卯之介に遠慮して、章喜には厳しく接した。
章喜は寝るときも母親の着物を掴んで離さないような子で
あったが、母親から愛されているような感覚を得ることが
できずに、成長した。
章喜は10代も後半になると、早々に家から出て働いた。
様々な職業を転々として、その途中で女と出会い、駆け落ちした。
実家には給料から兄弟の教育費を送り続けたが、実際に足を
運ぶことは少なかったという。
昨年死んだ章喜の母、金蔵の妻は晩年「自分ほど
不幸な人はいない」とこぼしていたらしいが、章喜は特にそれ
に対して何もしようとはしなかった。
で、章喜が34、5の時に三番目のこどもとして生まれたのが
僕なのだが、章喜、父は自分に父親がいなかったせいか、
あまりうまく父親らしく振る舞うことができずに、僕もよく
父親という存在がいまだに分からないままだったりする。
そんな自分が会ったこともない金蔵を想うのは不自然だけれども、
自分が大学生だったような年の頃に、彼が熱と悪臭の硫黄島で
トンネルを掘っていたのだと思うと、奇妙な親愛と憐れみの
情が湧いてきて、親友を想うような気持ちになってくる。
3月26日に硫黄島の戦いは終結したのだが、金蔵は3月17日に
死んでいる。2万人のうち、1000人程が捕虜になって生きながらえて
いる。後、9日何とか切り抜けていたら、もしかして・・・。
越谷の天獄寺の門の脇に大きな石板があって、そこに大戦で
死んだ人の名前が彫られていた。高橋金蔵、という名前を見つけた
時、会ったことも無い彼に、何か懐かしい思いを抱いて、
そっと名前のところの、ざらざらとした空洞を触った。
金蔵、さん。おそらく君が願ったような幸福な家族に、彼らはならなかったし、
今でもそんなものとは程遠い状況だよ。でも、僕は少なくとも
君が生きて、呼吸して、恐怖して、でも勇気を奮って必死に生きただろう
ことを、この岩に彫り込まれた君の名前のように、自らに刻み付けるよ。
そして僕は君が大切にしたように、息子が生まれたら、彼を、そして
妻や他の家族たちを、大切にしてあげたいと思う。
君の冥福を祈る、ということは、きっとそういう行いをもってして
なさなければいけないもののような気がするよ。
そうして僕は君を引きずり込んだ社会の狂ったうねりのようなものを、
二度と起こさないように身を捧げたいと思う。君が奮えながらも
銃剣を持って向かっていったその勇気の100分の1くらいの
勇気を振り絞って、今の社会が君に恥じないものであるように、
立ち向かっていきたい。
祖父と「再び出会わせて」くれた映画に、とにもかくにも、感謝したい。