子育て当事者「排除」の有識者会議は、幼児教育無償化を語れるのか
認可外保育所ユーザーだった、フローレンスの駒崎です。
すでに収入に応じた保育料である関わらず、数千億円かけて保育園・幼稚園を無償化する「幼児教育無償化」。
当事者からも「待機児童がいるのに、何を言ってるんだ」「無償化よりも全入化だろ」と反発され、当初、無償化の対象範囲を「認可のみ」としていたところを「認可外を含めて」と方針展開。
有識者会議でどの認可外保育所まで入れるのか、対象範囲を夏までに決めてもらおう、と先延ばしになりました。
そして今日、有識者会議のメンバーが発表されたのですが、一瞬、言葉を失いました。
【子育て当事者がいない】
政府は17日、昨年12月に閣議決定した2兆円規模の政策パッケージに盛り込まれた幼児教育・保育の無償化を巡り、事業所内保育所など認可外施設の利用者の対象範囲を議論する有識者会議の座長に、増田寛也元総務相を充てることを決めた。
(中略)
会議では、政策パッケージに明記された「保育の必要性および公平性の観点」から、認可外施設や幼稚園での保育に関して、何を無償化の対象とするかを議論する。一時的な利用でなく、継続して利用しなければ保護者の就業が難しくなるサービスかどうかが、無償化の線引きの基準になりそうだ。
有識者会議メンバーはこのほか、労働経済学が専門の樋口美雄慶応大教授、待機児童対策に取り組む林文子横浜市長、幼児教育を専門とする無藤隆白梅学園大特任教授
ということで、皆さん有識者の名に恥じない、本当に立派な研究者や行政経験者の皆さんです。
しかし、全員60代・70代の方々で、今まさに子育てされている方々でもなく、認可外保育所を使われている方々でもないです。
そうした方々「のみ」で、「認可外保育所をどこまで無償化すべきかどうか」ということを議論するのは、果たして正しいのでしょうか。
【”Nothing about us without us”】
2006年、「障害者の権利条約」が国連総会で採択されましたが、この条約が作られる過程においてスローガンがありました。
”Nothing about us without us”(「私たちのことを、私たち抜きで決めるな」)です。
人類の歴史を紐解くと、障害者は社会から能力が欠如していると見られ、ただ保護の客体としてのみ扱われてきた期間が長くありました。
そこでは障害者は意思決定をする人ではなく、健常者の「してあげた」意思決定に従う人たちでした。
日本においては例えば、1948年優生保護法が制定され、強制的な不妊・断種手術が障害者や病人、1万6000人以上に対して実施されました。
多くは、本人の同意なく、です。
「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」、つまりダメな子どもが生まれないように、と健常者が意思決定し、障害者はそれに従って子どもが産めない体にさせられていったのでした。
障害者について、健常者が勝手に意思決定し、自由や権利を侵害する。
こうした過ちは日本だけではなく、世界中で行われてきました。その歴史的な過ちから学び、二度と繰り返さず、「意思決定される存在」から「意思決定する存在」になっていこうという意思が、この「私たちのことを、私たち抜きで決めるな」という言葉に込められていると言って良いでしょう。
【認可外保育所を使う親抜きで、認可外保育所を語るな】
話を認可外保育所の無償化範囲を決める有識者会議に再び移しましょう。
この会議も、当事者の話はおそらく「ヒアリング」され、参考程度にはされるでしょう。
しかし方針を決めるのは、官僚という非当事者と、高齢有識者という非当事者の方々で、最終決定は政治家という非当事者の方々です。
当事者の、子育てしている親はどこにいるんでしょうか?
「私たちのことを、私たち抜きで決めるな」というこの言葉を、有識者と政府に今、送りたい。
子育て中の親は、無知でも無力でもない。自分の言葉を持っていないわけでもない。意思決定ができないわけでもない。
なのになぜ、意思決定の場から排除するんだ。
実際に認可外保育所を使うのは、有識者じゃなくて、官僚じゃなくて、私たち子育てしている当事者なんだ。
そんな風に叫びたい思いに駆られます。
障害当事者抜きに障害当事者のことを決めて人権を侵害していた過去に一切学ばず、当事者抜きで子育て支援政策を語っている限り、我が国の子育て支援政策は、いつまで経ってもリアリティが欠如した「それじゃ無い感」満載のトンデモ路線から抜け出ることはないでしょう。
最後にもう一度。
Nothing about us, without us.
出典:文部科学省 障害者制度改革の推進のための基本的な方向
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/attach/1295929.htm