駒崎 弘樹 公式ブログ 旧ブログ記事

「病児保育は行政がやるべきでない」という議員の方へ


一昨日、某市の市長さんに御挨拶しに行ったところ「うちは病児保育はやらない。子どもが熱の時くらい親が看るべきだ」と仰られ、残念だなぁと思ったので、Twitterで呟きました。

色々な方から反応を頂いたのですが、それに対して、船橋市の日色健人さんという市議会議員の方http://bit.ly/bHRHlO
から、下記のような「それは行政の仕事ではない」というご意見を私に対しブログで頂きました。
http://bit.ly/bzMLQC
世の中には色々なご意見があって良いかと思うので、通常はスルーするのですが、発言者がこと政治家の方なので、捨て置けないと思い、こちらもブログでお返しいたしたいと思います。
日色市議は、議会の様子をTwitterで中継され、http://bit.ly/daX75u 市民にオープンにしようと心がけられている、非常に開明的な方なので、きちんとお伝えすれば、こちらの意見を御理解頂けるかと思いました。また、彼は千葉県市川中学・高校出身で、私も偶然市川中学・高校出身ということで、何かの縁を感じ、下記のように申し上げました。(ここでの論点ではないので、特定の地名等は伏せました。また分かりづらい表現には()書きで注を入れました)
—————-駒崎のTwitterによる返信———————
●●市における病児保育の件ですが、現職の議員の方から反論を頂きました。いち民間人の呟きに貴重なお時間を割いてご意見下さいまして、誠にありがとうございます。謹んで再反論させて頂きます。
まず第一に一般市民の公権力への個人的感想の連なりを「フルボッコ」(よってたかって一方的にボコボコ)と見なしてしまうことに、いささかの違和感を持ちました。男女共同参画に資する大事なテーマを草の根で議論することは、民主主義の基本かと思います。
また第二に「批判されるべきは子供の体調不良で仕事を休むことを許さない社会、組織であって、病児保育のサービスを提供しない行政(および市長)ではない」とのことですが、前半部分には賛成です。こどもが熱を出した時に気軽に休める社会にするべき、と私も思います。
しかし日色先生に問いましょう。「こどもが熱を出しても休める社会」はいつ実現するのでしょうか?少なくとも1年、2年後の話ではありません。もしかしたら10年後もやってこないかも知れません。その間、窮地に立たされた親御さんはどうすれば良いのでしょうか?
日色先生は「子供を持ちながら働いている親は、その労働環境の改善に向け、あらゆる権利を行使し交渉すべき」と書かれています。正論かも知れませんが、現実的ではありません。現実には多くの労働者の立場は会社と対等に交渉できる位置にはありません。
また「「どうしても私が行かないと」という仕事は存在しません。その人が途中で運悪く交通事故にあって志半ばで斃(たお)れてしまっても、世の中はきちんとまわっていくから」というご意見には、多様に、懸命に働かれている方々に、もう少しだけ想像力を働かせて頂きたく存じます。
手術を抱えているお医者さんは、お子さんの熱で手術を伸ばすことは現実的にはできません。重い責任のあるお仕事をされている親御さんは、本当にたくさんいらっしゃるのです。
こどもが熱を出しても気軽に休める社会が到来するまで、セーフティーネットとして熱を出しても安心して預かってもらえる場所を創ることは、先生の仰る「ないものねだり」でしょうか。
「べき論」を大上段に振りかざすのではなく、市民の立場に立ち、共感と共に政策を論じて頂くことはできませんでしょうか?私は政治のこと等露知らぬ一般人ではございますが、現場の声なき声をお届けすることで先生に協力することはできると思います。
浅学の身でありながら御意見奉りまして誠に恐縮ですが、ご意見頂けましたら幸いです。
——————————-
こうした意見に対して、更に御自身のブログにおいて、下記のような返信が私にありました。
http://bit.ly/9md6DY
論点が飛び飛びになっておられるので掴みづらいのですが、まとめると
①自己都合で病気の子どもを第三者に預けるのは、「個人的に否定的な価値観」を持っている
②本来は「こどもが熱を出しても休める社会」を創るべき。にもかかわらず、病児保育を行政が行ったら、その実現を阻んでしまう
③船橋市に待機児童がたくさんいるのに、病児保育にまでお金を使うべきか
ということだそうです。
本当はこうした政治家の方の御意見に関して何も言わなくても良いのかも知れませんが、議論を通じて、日本の社会保障と行政、民間の役割について、御覧の方々に考えて頂く好機となると思ったので、あえてブログにて再反論致します。
まず、③からいきますと、私は「船橋市に病児保育施設を作って下さい」とは一言も申し上げていないので、論点ずれしています。
私のエントリーを以前から読んで下さっている方は、私が「病児保育の施設を作り、補助金を事業者に入れて下さい」と政策提言したことがなく、「バウチャー(クーポン)の形で利用者に渡してあげて下さい」という政策提言をしていることに気づかれるでしょう。
http://bit.ly/WkYON
また論点ずれをくみ取ったとしても、「待機児童対策と病児保育対策は、(当たり前ですが)二者択一ではありません」とお答えしておきましょう。
次に、②に対してです。これは一見正しそうです。「こどもが熱を出しても親が看れない社会が悪い。社会の方をこそ変えるべきだ。」と。
でも私はこの手の類の言説を「大いなる『べき論』」と呼んでいます。
なぜなら、そういう社会って「いつ」実現するのですか?ということなのです。5年後?10年後?百歩譲って10年後にそういう社会に日本がようやく成ったとして、それまでに苦しむ親御さんたちを助けるセーフティーネットは、無くて良いのでしょうか?
私の答えは、「セーフティーネットと構造改革は、両輪」です。
目の前の溺れている人は助けながら、中長期的に溺れさせる原因をじっくりと解決していく。
私にとって、目の前の方を助けるのがフローレンスの病児保育。
こどもが熱を出しても休めるような社会にするための構造改革が、「働き方革命」事業です。
構造改革のために、これまで1万人以上の方々に企業研修・講演を行ってきましたし、本も出しました
「べき論」をぶっているだけで世の中の人の意識が変わったら、このような社会運動の苦労はないわけです。
また②の後段の理論は、全く頭を抱えてしまいます。
「病児保育を行政が行ったら、あるべき社会の実現が阻まれる。」
これは噛み砕くと「こどもが熱を出したら親が休むべきなのに、行政が面倒を見てしまったら、いつまでたっても親は休まなくなるし、そうすると親が休める社会はやってこない」というロジックなんだと思います。
僭越ながら、おかしい、と思います。どこがおかしいか、別の事例で御説明させて下さい。
例えば「そもそも犯罪の無い社会を目指すべきなのに、行政が犯罪被害者の方のケアを行ったら、いつまでたっても犯罪がある前提のままで、あるべき社会の実現が阻まれてしまう。」というのと同じです。
また例えば「そもそも鬱病の無い社会を目指すべきなのに、行政が鬱病者のケアを行ったら、鬱病の原因を根治することがおろそかになり、あるべき社会の実現が阻まれてしまう」というのと同じです。
更に例えば「本当は介護を必要としない、皆が自律的に最期まで生きられる社会を目指すべきなのに、行政が介護を行ったら、介護の必要とする人達を増やしてしまうことになり、あるべき社会の実現が阻まれてしまう」というのと同じです。
このおかしさは、なんでしょう。現実から遊離した空虚さです。あるべき社会はすぐには実現しない。その実現までにこぼれ落ちて行く多くの人々を見殺しにして、安全地帯にいる人間があるべき社会の実現を評論する、空虚さ。
そして最後に①の「個人的に否定的な価値観」を持っているので、反対だ、という点。
正直に申しあげますと、残念な気持ちを通り越し、悲しい気分になりました。
個人的な価値観を持つのは、当然のことです。万人が個人的な価値観を持っています。しかし、こと為政者が「個人的に否定的な価値観」で政策を決めたら、たまったものじゃないですよ、ということなんです。
政治家と言うのは、個人的にどう思っていようが、街場を歩き、市民の声なき声に耳を傾け、政策を練り上げていくものでしょう。現在、そして未来の市民の最大幸福を実現していくべき存在。
ゆえに政治家は自分の「好き嫌い」よりも「市民にとって何が最も幸福だろうか」を常に優先して考え続ける責務を負った存在であるといえるのではないでしょうか。
日本は2050年には今の労働人口の3分の1を失います。
http://bit.ly/aNWz8p
同じく2050年には高齢者の方は全人口の4割を占めるようになります。
http://bit.ly/avyjSM
全人口のうち4割が高齢者、という人類が未だ体験したことのない社会。その社会を維持しなければいけない時代に、日本は世界のどの国にも先駆けて突入するのです。
その世界では、労働者3人に1人の高齢者を支えていた現在の「騎馬戦」システムから、労働者約1人で1人の高齢者を支える「おんぶ」状態になります。
こうした未来が来るにも関わらず、現在日本では出産と同時に女性の約7割が仕事を辞めてしまっているのです。
http://bit.ly/bG2zMj
何となれば移民が入ってくれば良いと言う方もいますが、自国の女性すらフェアに扱えない国家が、異国の方を尊厳を持って、真に平等に受け入れられましょうか。
「子育てと仕事の両立可能な社会の実現」は社会保障、経済、国民生活のどの観点においても、喫緊の課題であり、目指すべきビジョンなのです。
「個人の価値観」の向こうにある「共同体の使命」なのです。
そろそろ結論を言います。個人的に病児保育に否定的な価値観を持っていてもOKです。公的病児保育施設も増やしたくないならば、それもどうぞ。そもそもそんなことは期待しておりませんし、お願いしてもおりません。我々が勝手に船橋市に展開し、困っている方々に病児保育を提供致します。
ただ僭越ながら分かって頂きたいのは、「べき論」を語っているだけでは世の中は良くならないですし、個人的な価値観うんぬんを優先させて政策を作ってては、良い社会を生みだすことはできないのではないか、ということです。
しかし同時に、もし政治家の方が本気を出せば、自治体の支出を抑え、かつ効果的に病児保育サービスの参入を促すことだってできるということです。
※千代田区の事例
http://bit.ly/aMgUbK
>ネット上での議論というのは難しく、あまり得意とするところでは
>ありません・・・いつかお会いしてお話しできる機会があればいい
>ですね。
という大変光栄なメッセージを頂きましたが、私の前に日色市議にお会いしてお話して頂きたいのは、額に汗して子育てと仕事を頑張っている親御さん達だと思います。いや、話す必要すらないかもしれません。ただ一心に聴く。彼らと同じ目線で、彼らに耳を傾ければ、共感という感情が賢明なる市議の胸に湧いてこざるを得ないでしょう。
べき論よりも貴い何かは、すぐ目の前の街の中にあるのです。
いつか同窓会で日色市議にお会いし、心から分かりあえることを、祈っております。
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当記事はNPO法人フローレンス代表理事 駒崎弘樹の個人的な著述です。
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