小説「桐島、部活やめるってよ」から分かる、本当の勝ち組
以下ネタバレ内容を含みます。ちなみに映画はまだ見てないので、小説内容のみに基づく内容です。
「桐島、部活辞めたってよ」の舞台はどこにでもある地方の高校。バレーボール部キャプテンの桐島がある日突然部活を辞めたことから、彼の周りの生徒達に少しずつ広がる淡い波紋を群像劇で描いた作品。
肝心の桐島自体は舞台には登場せず、桐島がなぜ部活を辞めたのか、本当の理由も分からない。けれど桐島に憧れていた、疎んじていた、妬んでいた、何となく知っていた、特に知りもしなかった周囲の人間たちに、小さな変化を起こしていく。
どこの世界にもある、たいして重要でもない「事件」が、それでも人々の人生の軌道をずらし、影響し、癒すことがある。人々はどんなに関わってなくても、関わり合っている。そういったことを、高校の放課後のノスタルジックな匂いとともに描写した本作品は、珠玉の輝きを放つ。
そして本作品にある種の「手触り」を持たせているのが、登場人物たちがそれぞれ所属する「スクールカースト」だ。
高校って、生徒がランク付けされる。なぜか、それは全員の意見が一致する。英語とか国語ではわけわかんない答えを連発するヤツでも、ランク付けだけは間違わない。大きく分けると目立つ人と目立たない人。運動部と文化部。
上か下か。
目立つ人は目立つ人と仲良くなり、目立たない人は目立たない人と仲良くなる。目立つ人は同じ制服でもかっこよく着られるし、髪の毛だって凝っていいし、大きな声で話していいし笑っていいし行事でも騒いでいい。目立たない人は、全部だめだ。
この判断だけは誰も間違わない。
皆さんも経験があるだろう。もちろん僕にも経験がある。学校内の見えない身分制。誰かに虐げられているという悪者なんていない。空気のように、それが当然だと皆が振る舞う構造。
本作は何人かの登場人物の一人称で物語が進行し、それぞれがカーストに属し、それぞれに見えている景色が違う。カースト最下層の映画部の前田は、最上位の宏樹たちのグループを横目に見ながら、同カーストの映画仲間達と「暗い」映画の話をするのが楽しい。カースト最上層の沙奈のグループの女子達は、カースト最下層の前田達が映画甲子園で審査員特別賞を受賞し、全校生徒の前で表彰されたのを見て、何あれ痛いやつら、と鼻で笑う。
女子カーストのリーダー的存在の沙奈はいつも可愛くてしていて、男子カーストの最上層の宏樹と付き合っているけれど、宏樹は冷めた目で、カーストの下層にいるものたちを小馬鹿にする沙奈を軽蔑する。同時に自分をも軽蔑する。このまま何となくうまく上層にいて、MARCHあたりの私立大学行って楽しくやって、で、だから何なの、と。
そう、本作では学校あるある的にスクールカーストをそのまま描くだけではないのだ。その向こうにある、「本当の階層」が描かれているところに胸を打つのだ。それは何と言おうか、あえて言葉を当てはめるとしたら、「生の充実」だ。
「暗い」映画部の前田は童貞で、クラスの映画オタク仲間の武文と映画のカットのうんちくを語ったりして時が経つのを忘れる。全校生徒の前で表彰と言う名で「晒さ」れて、女子たちの小馬鹿にする声を聞いて凹むけど、でも新作を取ろうぜ、とカメラを回せばワクワクする。次は優勝だと目的を持って、キモがられながらも放課後のキラキラした空間にカメラを向ける。
僕らは思い思いに意見を言いながら、とにかくカメラを持って外へ飛び出した。カメラがどんどん軽く感じられる。僕らの物語に乗っかってしまえば、こんなもの全然重くない。
飛び出す、という言葉を僕達は体現できる。十七歳のこの瞬間だけ。
僕はこの瞬間が一番好きだ。
世界で一番最高の瞬間を、映像として、僕らが切り取る。
どんなことでも映像で伝えられる気がする。レンズを通して見る世界は、普段は見えない感情に満ちていてとてつもなく美しい。
(中略)
映画部だ、なんて指をさされることだって、今なら気にならない。
それをスクール最上層にも関わらず、クラスで楽しそうに笑うことを「許されている」はずの宏樹は、羨望する。
宏樹は分かっている。カーストで支えられている自分の「ぱっとみの充実」なんて、こいつらの真の充実に比べれば、スカスカだ、と。
やりたいことを持っている、やりたいことをやって幸せなこいつらは、どんなに見た目がダサくても、勝っている。やりたいことも分からず、何かに挑戦することもせず、カースト下位と比べることによってしか自尊心を持てない自分に。
だからこう語る。
俺は、その場に突き刺さったように立ち尽くしていた。この体育館の中で、自分だけが動けない。桐島、たぶん、お前も、バレーをしているとき、こんな顔をしていたんだろう、と俺は思った。自分がやりたいことを全力でやっているときは、たぶん誰でも、こんな顔をしているのだろう。とっぷりと何かに濡れていた心が絞られて、蜜のようにこぼれ出た感情が血管を駆け抜けていく。
(中略)
そのレンズを覗く映画部ふたりの横顔は、
ひかりだった。
ひかりそのもののようだった。
俺は緊張していた。普段は話しかけようとも思わないふたりを相手に、じっとりとてのひらに汗をかいて、指を震わせていた。精一杯の勇気を振り絞って、やっと、トントン、と右肩を突つくことができた。
ひかりが振り返って、俺を照らした。
そう、そうなのだ。学校という閉鎖的な特殊な空間にいると気づかない。学校内のカーストなんて、大学に行ったらクラスないのと学生多いのとで融解するし、社会人になったらスクールカースト(目立つことによる階層化)はさよなら。
そのかわり収入があるとか社会的な地位とか大きな企業だとかで階層化されるけど、でも結局、「俺が幸せならOK」なのだ。
どんなに高収入でも使う暇が無いくらい忙しく働いていたら、家とオフィスビルの往復で人生終わるし、ちょっとくらいネットで有名でもすぐ有名じゃなくなるし、大きな企業でもいつでも潰れるし、「こうなったら人生充実」なんていうテンプレートは、ない。
傍から見てどうだろうが、どんな階層にいようが、「やりたいことやってて、楽しい」って笑っているやつが最強。
そういうことって、高校の時に誰も教えてくれない。カーストの牢獄なんてすぐなくなる。それよりやりたいことを見つけよう。面白そうだったら、やってみよう。とりあえず全力で。
もし今高校の頃の自分と出会えるなら、そう言ってあげたい。
そして、なあ大人になってもこんなに楽しいんだぜ、たとえばさ・・・って、笑いかけてあげられたなら。
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当記事はNPO法人フローレンス代表理事 駒崎弘樹の個人的な著述です。
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