311に寄せて
あの日から2年経ったが、2年前に拙著の文庫版のあとがきに書いた文章が、いまだ自分の心象風景に近いような気がするので、311に寄せて掲載したい。
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あとがき―文庫版にあたって
文庫化のお話を出版社から頂き、あとがきと巻末資料を書くために、自分にとっての処女作である『「社会を変える」を仕事にする』を読み直してみて、少し驚いたことがある。
本作で描かれているように、2000年代初期においては「社会問題を解決するビジネス(=ソーシャル・ビジネス)」を生み出す社会起業家も、彼らの乗り物であるソーシャルベンチャーや社会的企業も、一般には多く知られてはいなかった。しかしあれからわずか8年を経た今、私が起業当時に感じたような認知の不足と理解の断絶とに苦しむ経験が、格段に少なくなっているのに気づいたのだ。
それどころか、大学に講演に行けば、必ず一人は「NPOを起業したい」「こんなソーシャルビジネスを考えている」という相談を学生たちから受ける。社会起業家仲間のうち何人も国の審議会や委員会にも専門家として呼ばれ、政策提案の機会を与えられる。メディアや産業界からも拍手され、数々の賞が贈られる。
わずか8年。8年で人々の認識が変わった。私が当時、ITベンチャー社長を辞めNPOを社会起業した時にあれ程冷ややかだった空気は、いつの間にか溶けるように変わってしまった。
この作品を世に出そうと思った大きな理由だった「NPOやソーシャルビジネスに対する認識を変えたい」「多くの若者が社会起業家として、社会問題の解決に飛び込みたいと思う社会になってほしい」という願いは、一見成就したかにその時見えた。
けれどその目測は、文庫化のお話を頂いた後に起きた東日本大震災によって、大きく引き裂かれることになった。
311後、私達フローレンスや仲間の多くのNPOが被災地支援事業に立ち上がり、現地に入っていった。私達も含め本業が災害支援でない社会的企業の多くが、本業と両立させながら被災地のための新規事業を立ち上げたのだった。
しかし震災後、多くの国民は信頼の置けるNPOがどこにあるのか皆目分からず、とりあえずと日本赤十字に寄付をした。しかし義援金はその制度上の理由のため長らく留め置かれ、被災者のもとにすぐに届くことはなかった。
また、NPOとの協働の経験がない被災地自治体の多くでは、我々の支援事業をどう扱ったら良いのか分からず、基礎的な連携すら叶わなかったところもある。
更に震災直後にアメリカに寄付を募りに行った仲間は、日系人コミュニティから「私たちは祖国日本に寄付したくてたまらない。しかし日本のNPOは英語でWEBサイトを持っていないし海外に発信していないので、顔が見えない。仕方がなくジャパンレッドクロスに寄付をした」と言われたという。
社会起業家を巡る環境は、私が一歩を踏み出した8年前と比べたら、随分と前に進んだ。けれどそれはローマへと続く道をほんの二、三歩進んだに過ぎない距離であったのだ。
我々がもっと強靭で、もっと多くの国民に知られ、海外とのNPOや社会的企業たちとの繋がりもあり、発信力もあったならば、もっと迅速かつ協力に被災地支援事業に乗り出せたであろう。もっと多くの寄付を集め、もっと広範囲に多くの支援を展開できたであろう。地方の行政担当者にも名前を知られていれば、もっとすんなりと連携を行い、いち早く現地のニーズに沿った事業をきめ細やかに行えたであろう。
全て自らの力の欠如によるものだ。悔しさで胸が潰れそうになる。確かに努力はしてきた。けれど残念ながら、私たちはまだまだ、驚くほど脆弱だ。
だが同時に、私は311に希望をも見た。あの日々において、これまで日本においては大きな距離のあった企業セクターとソーシャルセクターが、その境を超えた。企業とNPOの境なく、人々は自分にもできることはないか、と動いたのを見た。検索エンジン大手であるグーグルはグーグルパーソンファインダーを始め、行方不明の人々をネット上で探せるようになった。大手携帯電話会社であるソフトバンクは登録すれば自動的に寄付ができる料金プランを発表した。フローレンスにも多くの企業から「自分たちにできることは無いか」という問い合わせが相次いだ。
そこに営利企業だから、NPOだから、という違いはあっただろうか。自分は企業人だから、団体職員だから、という区別はあっただろうか。関係ない。今できることを、それぞれが果たそうとしたのだ。
あの時に時代の扉から光が差し込みはしなかったか。
もし今日本が抱える数多の危機。それは世界一の速度で進む超少子高齢化であり、先進国一の借金であり、長期に渡る経済低迷であり、機能しない政治システムであり、破綻しかけた社会保障機能であり、そうした危機において誰もが、そう誰もが当事者として相対することができるならば。
沈みかけたタイタニックの船員として、日々船長に文句を言い、船長を変えれば自分たちは溺れないのだ、と膝まで水に浸かりながらせせら笑う喜劇の住人たちが、ひとりずつバケツを持って水をかき出し、船体に空いた穴を直しはじめたら。
311で決定的に追い打ちをかけられてしまった我が国の運命を変えるためには、私達が主体に変わる以外にはない。社会を変えるために、私達それぞれが変化となる以外に選択肢など残ってはいないのだ。
私は夢見る。若者たちが希望を抱き、社会を変えるための事業を次々に興していくことを。それを大人たちは冷笑的なダメだしではなく、拍手と応援によって背中を押すことを。日本全国にNPOや社会的企業が溢れ、多くの国民はそれに参加し、その地域の課題に革新的な手法によって切り込んでいっていることを。そして一度危機があればすぐに彼らが結集し、苦痛にあえぐ人々のもとに誰よりも早くかけつけることを。
行政や政府は自分たちで対応できない多種多様な社会的課題を、そうした使命感を持った個人たちに委ね、自分たちしかできないことに集中し、スリムになっていくことを。企業はNPOや社会的企業と果敢に事業提携し、社会変革の種をそこかしこに撒いていくことを。国民が「依存しながら文句だけは言う」お任せ民主主義から脱却し、自ら当事者となり小さな変化を生み出していく主体となることを。
そして戦後焼け野原から世界第二位の経済大国に登りつめた「奇跡」に続く、新たな「奇跡」を起こすことを。様々な困難に見舞われながらも、それでも国民が世界一幸福に、そして誇りを持って生きている社会を、我ら自身の手によって生み出すことを。
私は夢見る。そして走り続ける。それまで私の仕事は終わらない。いや私は『「社会を変える」を仕事にする』ことを、その光景を見るまで終えることなんてできない。なぜなら私は心から見たいのだ。そんな光り輝く、私たちの愛する社会を。
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当記事はNPO法人フローレンス代表理事 駒崎弘樹の個人的な著述です。
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