「推される力」の転用可能性について
先日、社員6人くらいとランチしていたら、僕以外の全員、「推し」がいた。
韓国人男性アイドルグループとか、女性アイドルとか。
そして頼んでもないのに推しの素敵なところを説明しだし、一回一緒にライブ行きましょう的な布教もされた。
そのハンパない熱量。まるでポルトガルから地球の裏側まで宣教しにきたフランシスコ・サビエルだ。
ただ、僕はどうしても自分の中で、「自分の年齢の半分くらいの女子を、良い年して好きになったり応援するなんて・・・」と抵抗感が強かった。そして前向きに相槌を打ちつつ、「まあ自分はそういうのは無いわ」と内心思っていた。
しかし、ある社員から言われた。
「NPOも社会から推されることで、寄付やボランティア等のリソースが集まるのでは?」と。
確かにそうかも、とハタと気付かされた。
「推される力」には転用可能性があるのかもしれない、と。
当然、NPOは同じアルファベット三文字だけどBTSと顔面偏差値が違うし、踊りも踊れない。なので全く同じように推してもらえるとは思えない。
しかし、我々も共感と応援によって成り立っている。
寄付も推しNPOだから頂けるのだし、採用ももともとフローレンスを知ってくれていて、好きだったから応募した、と言う人がほとんどだ。政策や制度を変えることも、僕たちを信用してくれ、一種「推し」てくれる官僚や政治家の方々がいてくれて、彼らと共に一緒に行っていく作業だ。
そう言う意味では、アイドルやアーティストの「推される力」から学ぶことがあるだろし、どうすれば推されるか、という黄金律をそこから抽出することもできるかもしれない。
ある女友達に聞いてみた。
「推し?いるよ。関ジャニ。関ジャニは苦労人でさ。お母さんが亡くなった日にライブがあってね・・・」と延々と話し始めた。
脚光だけでなく、苦労や障害もあり、それを乗り越えていく物語をファンと共有していく、と言うのは、推されるために例えば一つの大事なことだろう。
そうした法則に従えば、我々もプレスリリース的な情報発信だけではなく、これに苦労している、辛いよ、ということもまた出していく、と言うことが重要なことの1つかもしれない。(信頼されなくなっちゃうのでは、という怖れが常にあって、なかなかできないけれど)
これまで成果や達成については伝えてきたけれど、その過程(プロセス)やその中で感じる痛みや苦しみみたいなものはあんまり出してきてなくって。好きでやってるんだから、黙って歯食いしばって頑張ろうぜ的なマインドがあって。でも、そういうことじゃないのかもしれないなぁ、と考え直した。
推し活詳しい人たち、ぜひ色々と教えてくださいな。
国民の10%でも、推しNPOを持っている、っていう状態になったら、我々は随分遠くに行けるはずなのだ。
追記
写真は僕の推し酒造、新政のお酒、亜麻猫です。シャンパンみたいな発泡日本酒で、どえりゃー美味いのです。